サンフランシスコ紀行

ゴールデン・ゲート・ブリッジ



No.27 さらばアメリカ、さらばニッポン!

☆別れの朝(とき)が来た・・・・

昨晩の夕食は、パパさんとママさんの、私が故国の味に飢えているであろうとの配慮からか、中華料理であった(わしは日本人や!)。

恐らく彼らにとって、極東の島国である日本も中国もごちゃまでになっているのであろう。

余程の親日家でない限り、アメリカ人の日本に対する認識はこの程度である。

その日の晩は、アメリカでの最後の夜が惜しまれて、なかなか寝付くことができなかった。

将来も又、アメリカを訪問することはあるだろう。

しかしながら、もう住むということはきっとないだろう。

そのことが惜しまれてならなかったのである。

翌朝は5時半ごろ、私はパパさんに起こされた。

朝早く出勤する彼は、私に別れの挨拶をしに来たのである。

寝起きでもあり、私の拙(つたな)い英語力では、彼の言葉は全て理解できなかったが、私の帰国後の健闘を祈るといった内容の言葉であり、私たちはしっかり握手をして別れた。

(弁護士のパパさん!この次来るときはもっと英語を勉強してくるから、アメリカのいろんなことを、もっともっと教えてね!!)

パパさん出勤後、他の家族が起きてくるまでに約1時間程あり、その間、私はここでの想い出をしっかりと心胆に刻みつけておくかのような気持ちで、住み慣れた家の中の廊下や壁やソファーの感触を確かめて歩いた。

また私はベランダに出て、そのまま庭に降りた。

そうして私はアメリカの大地にキスをした。

もう一度ここに帰って来れますように、ママさん達と元気で再会できますように、そして素敵な想い出をたくさんありがとうとの万感の想いを込めてである。

やがて、ママさん達が起きてきた。

私はママさんの運転する車に、子供達と一緒に乗って家を後にした。

まず順番に子供達を学校に送り届けて行くのである。

彼らの学校に着くごとに、私も一旦降車して、子供達と別れの抱擁をするのである。

「さよなら、エリック!永遠のBadboy!決してBadmanになるでないぞ!」

「さよなら、ニコル!毎朝のニコル特製弁当、とっても美味しかったよ!ありがとう!!」

「さよなら、マイク!俺のちっちゃな親友よ!」

そして・・・

「さらば、シェリー!俺の一番のお気に入り!10年後が楽しみだぜ!!」

(今、シエリーはモデルさんやってます! ほんとうに10年後が楽しみでした!)

そうして最後に私とママさんは、空港行きのバスの発着地に着いた。

まもなくバスは出る・・・。

私とママさんは涙を流しながら、一言もしゃべらずに、ただただ抱き合っていた。

動き出したバスの車窓からは、いつまでも手を降り続けているママさんの寂しげな顔が見えた。

おりしも雨が降り出したが、車窓に流れしたたる雨の滴(しずく)と、私やママさんの流す涙が重なり合って見えた・・・。

「さよなら!」は言いたくなかった。

私はママさんに向かって叫んだ・・・

I shall return!!

★数十時間後、私はせわしく人が行き交い、美しいサンフランシスコとは違って、所々にゴミの目立つ騒々しい大阪の街角に立っていた。

私はふとため息をつき、心の中でつぶやいた・・・。

・・・「さらばアメリカ、さらばニッポン!」と・・・


To be continued!




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