サンフランシスコ紀行

金門橋
photographs courtesy Philip Greenspun



No.28 I miss you・・・

・・・遙かなる想い・・・

☆あれから何年経(た)ったろう・・・。

アメリカのステファニーママさんとは、別れて以来、季節の便りの交換は続いていた。

ママさんはいつも彼女の手紙の末尾に、”LOVE”という言葉に添えて、”I miss you!”と書いてきた。

「あなたがいないのを寂しく思う」という意味であるが、いつも彼女は私に「今度はいつ帰ってくるの?」と聞いてくる。

私はすぐにでも行きたかったが、仕事のこともあり、来年また来年と、延ばしのばしにしていた。

しかしながら、ようやく都合をつけ、アメリカを再び訪問することにした。

約10日ほどの日程であったが、往復の所要時間、それに時差等の関係もあり、現地滞在は約一週間である。

私は感慨に耽りながら、アメリカを初めて訪問したときと同じコースで、まずロスアンゼルスへ行った後にサンフランシスコに入ることにした。

もちろん、アメリカに着くやいなや、リカー(酒屋さん)に赴いてエロ本を数冊入手、同国の現況を把握したことは言うまでもない。

その日の晩は市内のホテルに泊まったが、私は早速ママさんへ電話を入れた。

明朝ママさんがホテルへ迎えに来るということになったが、私は初めてママさんに逢った時のように、どのような顔で何と言って逢おうかと思案しながら眠りについた。

約束の朝の10時を迎えた。

ホテルのロビーで待っていると、急に勢いよくバタンとエントランスのドアーが開き、ママさんが入ってきた。

私たちは互いに走り寄って、再会の言葉を交わすよりも早く抱擁しあった。

彼女は声を挙げて泣いていた。

私も自分のことながら、思わずもらい泣きをしてしまった。

やがて私たちは懐かしの家に戻り、わずか数日間ではあったが、昔のように楽しい日々を共に過ごしたのである。

帰国の機中で私は深く反省した。

ママさんは私のComeBackをあんなに喜んでくれ、私を抱きしめて涙まで流してくれた。

なぜもっと早くアメリカに戻らなかったんだろう!?

なぜもっと早くママさんに会いに行かなかったんだろう!?

思えば、アメリカは遠いところだと決めつけていたが、飛行機でわずか数時間の道のりである。

日本国内でも、場合によってはアメリカに行くよりも時間がかかる場所もあるのだ。

私が遠いと思っていたのはアメリカと日本の距離ではなく、自分自身の心であると悟ったのであった。

今の私には、アメリカよりも東京や札幌のほうが遠い存在に感じている。

(ましてや東北や仙台などは火星に行くのと同じような感覚であろう・・・)

私は、状況の許す限り、アメリカに何度も行ってやろうと決意した。

帰国後、私はママさんに早速手紙を書き、末尾にこう綴った・・・

I miss you, too!

終わり・・・。


Special thanks to
Stephanie mon, Joe, Nicole, Eric, Shelley, Mike, Ms.Hirano, Mr.Ohkuni, UCB, San Francisco and U.S.A

読者の皆様へ
◆お陰様で一旦物語を完了させることができました。

多くの方々から励ましのお便りを頂き、ここに謹んで御礼申し上げます。

以降は、折を見てテーマ別に日米の比較文化を論じてゆきたいと思っております。

1998年7月3日

謎の男作者:風亜 舞




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