サンフランシスコ紀行

ユニオン・スクエア



No.21 葬式ゴッコin Yosemite

☆アメリカはネヴァダ州に、同国のナショナルパークに指定されているヨセミテ国立公園がある。

私はクラスメート達とツアーを組み、二泊三日の旅程で同地を訪問することにした。

サンフランシスコからは、バスで片道5-6時間の距離である。

ヨセミテは、元来はインディアンの隠れ里であったらしいが、先ず其の規模の大きさに圧倒される。

奈良公園とは大違いである。

日本の一個の県が丸ごとスッポリ入るくらいの広さであり、天を衝くような岩山が所狭しと林立しており、まさにこれこそ大自然という感がする。

私は思わず手を合わせて拝んでしまった。

さて、ヨセミテでの私たちの宿泊先なのだが、いわゆるホテルではない。

公園の中央に管理事務所のようなものがあり、そこでロッジの鍵を受けとるのだ。

ロッジの中は、日本の旅館とかにありがちな100円を入れて観るアダルトビデオどころか、テレビそのものがなく、時折、ロッジの外にラクーン(アライグマ)の訪問を受けるだけの静かな夜であった。

次の日は、私たちは早朝から思い思いに散策を楽しみ、時には何故か日本の軍歌を歌いながらのハイキングに興じた。

しかし、事件はその夜起こった・・・・・。

クラスメートの一人が山中で道に迷ったらしく、行方不明になったのである。

私たちは、早速、皆で手分けをして捜索する傍ら、現地の森林保安官にも捜索の援助を依頼した。

私は、たぶん村の青年団や黒い法被(ハッピ)を着た村の消防団、それに長い捜索棒を持った機動隊員、あるいは半分野次馬根性の松明を持った村の若い衆やマスコミの報道陣が集まるという、よくありがちな捜索活動が展開されるものと期待していたが、一向にその気配がない。

保安官に問うて訳を尋ねると、彼曰く。 「そないなこと言わはったかて、ここのヨセミテ公園は、どえらい広いし、年間に行方不明者かて何十人も出るんどす!死人かて此処では珍しくも何ともおへんえ!たぶん行方不明にならはった少年は、今頃、どこぞの山にでも籠もって仙人になりはったか、熊の餌にでもなったんとちがいますやろか!?運が良ければ、明日の朝にはお腹を空かして出てきやはりますわ!!」

・・・との弁であった。

私は、なるほど合理的な考えだと納得し、その晩は彼の捜索を断念し、ロッジに戻って「怖い話大会」を催したり、最悪の状況を想定して、少年が死体となって現れた場合に於ける彼の遺骸の取り扱いや、葬儀の式次第や段取りの相談をした後、安らかな眠りについた。

さて、翌朝のことである。

例の保安官の言ったとおりに、行方不明Boyは腹を空かせて下山してきたのである。

聞けば、やはり山中で道に迷ったが、運良くキャンパーに出逢い助けてもらったとのことであった。

私たちは彼に駆け寄り、「皆、本当に心配しとったんやぞ!夜も寝んと捜しとったんやぜ!!」と、彼の無事を喜んだのである。

だが・・・私たちの懐には彼の葬儀の式次第が収められていた。

私は香典を管理する会計係だったのに・・・。


To be continued!




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