サンフランシスコ紀行

Kaffee Barbara
筆者がステファニーママさんとよくBRUNCHを摂ったカフェー・バーバラ



Vol.14 もはや、これまで・・・・。

☆ステファニーママさん宅での、私の生活が始まった。

私の一日は、朝の7時に起床、簡単に朝食をとった後、長女のニコルの作ってくれたランチ(サンドイッチ2個、コーラ、おやつ)を持って、ママさんの運転する車にてモラッシュさんの家まで送ってもらい、次にモラッシュ婦人の運転する車に、私とモラッシュ氏と同氏の家にホームステイしている男子学生ひとりが同乗、最寄りのBART(湾岸鉄道)のコンコード駅まで送ってもらうものであった。

そうしてロックリッジ駅下車、市バスにて学校に通うのである。

そして午前、午後と授業を受けた後、3時半頃下校するのであるが、学校からロックリッジ駅までの帰り道は、私は市バスを利用せず徒歩を利用した。

元来、私は歩くことが好きであったし、車に乗っていたのでは観ることが出来ない、徒歩でしか見れない風景というものもあるからだ。

それに、この両足でしっかりとアメリカの大地を感じておきたいという思いもあった。

さて、ロックリッジ駅からコンコード駅に着いた後は、市バスを利用するのであるが、私は困ってしまった。

だいたいバスなんてものは、路線や乗り方が複雑であり、日本においてさえ知らない土地では分かりにくいものなのである。

ましてや、右も左も上も下も分からぬ異国の地アメリカである。

どのバスに乗ればよいのか途方に暮れていると、例の留学斡旋の現地のコーディネーターのオッサンがいづこともなく幽霊の如く現れて、「多分、バスの乗り方が分からないので途方に暮れていることじゃろう!」と私をバス停付近で待ってくれていたのである。

彼は「毎日このバスに乗るんじゃ!」と所定のバス停に案内してくれ、親切にも待機していたバスの運転手のオッサンに、「この野郎の降りるバス停に着いたら合図してやってちょーだい!」と頼んでくれたのである。

バスは約30分で目的地に着き、私は運転手のオッサンに礼を言って降りたのであった、だが・・・・・・

「ガビーン!!」と大ショックを受け、目の前が真っ暗になってしまった。

アメリカの広さに、改めて思い知らされたのである。

なんと、バスを降りたは良いけれど、右も左も前も後ろも、なーんにもなかったのである。

見えるは地平線ばかり、そんな中にひとりポツンと残されたのである。

「しまった・・・! はかられた・・・! ううっ!」私はうめいた。

いったい、どちらの方向に進めば帰れるのだろう、私は本当に途方に暮れ、泣き出しそうになってしまったのである。

やがて、日も暮れてあたりは薄暗くなり、はるか彼方に民家の明かりが点在するのみであった。

「もはや、これまで・・・・。」

天を仰ぎ、神と我が宿命を呪った時だった。

「バウワウワウ!」

長女のニコルがペットの犬を連れて、私を迎えに来てくれたのである。

地獄で仏、バス停にニコルとはこのことだと、私は飛び上がって喜んだ。

そして気がつけば、彼女を抱きしめていたのである。

それからしばらくの間、毎日彼女が私を迎えに来てくれる日々が続くのであった・・・・。


To be continued!




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