サンフランシスコ紀行

サンフランシスコ市街
photographs courtesy Philip Greenspun



Vol.9 チャイナタウン

☆LAX(ロスアンゼルス)での日程を無事に終えた私は、いよいよ憧れのサンフランシスコに向かった。

UAの国内線でサンフランシスコ国際空港に着き、そして市内中心部のユニオンスクエアー近くのハンドラリーホテルに着いた頃にはすでに夕方となっていた。

サンフランシスコに着いてまず驚いたのは、噂には聴いていたものの、何と坂の多い街であろうかということであった。

それも中途半端なものではなく、今までに見たこともないような広く長く急な坂なのである。

もともとサンフランシスコそのものは、丘にできた街であるので、急勾配の坂が我が物顔に市内を蹂躙しているのだ。

恐らくこの街の住人は自然に足腰が鍛えられるのではないだろうか!?

そう言えば、ここサンフランシスコはアメリカのポルノの発祥地だそうだが、坂が多いことと因果関係があるのだろうかと、しょうもないことを考えてしまった。

私は試しにユニオンストリートの端から端までを歩いてみたが、最初の坂を登りきった時点で息が切れて死にそうになってしまった。

こんな所で客死するわけにもいかず、別に修行のためここにやってきたのでもないので、それ以降、私は市内の移動には車か有名なケーブルカーを利用することにした。

さて私は夕食をチャイナタウンでとることにした。

歌にも謳われた、香港を除いては世界一の規模のサンフランシスコのチャイナタウンである。

ところで、ここサンフランシスコだけでなくロスアンゼルスにもチャイナタウンはあり、そしてジャパンタウンもある。

しかしながら、ジャパンタウンは単なる商業地区(日系企業や商店の集まり)の感が否めないが、チャイナタウンは商業地区であると同時に彼等の居住区でもある。

そこには彼等中国系アメリカ人のための学校や銀行、マーケット等、生活に必要なものは全て揃っており、さながら小国家の様相を呈している。 日本人は外国に住むと、郷にいれば郷に従えとばかりに、すぐにその国の文化に溶けこもうとするようだが、アジア・ヨーロッパをはじめ他の国の民族は異国に居住しても決して彼等の文化を捨てたりはせず、またその国への同化を頑なに拒否するような生活を送ることもある。

これが我々日本人という民族と他の民族の違いであろう。

しかしながら、それはまた他国の文化に同化するというよりも、良しにつけ悪しきにつけ吸収してしまう明治開国以来の日本人の特性というか、器用さなのかも知れない。

それはさておき、チャイナタウンでの食事を済ませた私は、しばらく市内を散策することにした。

だが、ある日系婦人の経営する土産物店で衝撃的な事実を耳にすることになる・・・。


To be continued!




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