サンフランシスコ紀行

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筆者がホームステイした家



Vol.7 ハーレムにようこそ!

☆アメリカを訪問したならば、是非とも視察してみたいと思っていたところにハーレム(ギャング街)がある。

あまりお近づきにはなりたくないが、暴力団の事務所をちょっと覗いてみたいという、いわゆる恐いもの見たさというやつである。

誰もが行く、ごくありきたりな観光なら、自宅で寝転がって観光用のビデオを観たり、「地球の歩き方」を読むだけで十分である。

治安の悪いハーレムのような場所や風俗街、それにスーパーマーケットのような庶民の息吹が感じられるような所を訪問したいとは、以前からの私の希望であった。

その国の生活水準や人々の気質に触れるためにも、そういった場所を訪れるのは非常に有意義であると思う。

しかしながら、特にハーレムやギャング街などへは、英語の苦手な人、気の弱い人、歩く身代金のような金ピカど派手なブランド星人、病気で死にかけている人、器量の善し悪しにかかわらず女性一人やグループには余りお奨めできないが、スーパーマーケットぐらいへは行けるはずである。

さて、私はタクシーにて現地に行こうとしたのであるが、タクシーの運ちゃんは、

「ええ、何やて! ハーレムやて! それだけは堪忍しとくんなはれ!!」

と、いやがって行きたがらなかった。

あまりにいやがるので私も不安になり、それではハーレムの入口近くまでということで交渉がまとまった。

綺麗な町並みを走っていたタクシーではあったが、やがて車窓から見える景色が明らかに変わってきた。

それまでの光景とはうってかわって、道路にはゴミが目立つようになり、所々錆びたトタン貼りの家や、廃墟のようになった汚いビルが点在して見えた。

やがてタクシーは静かに停車し、運ちゃんがおもむろに私に告げた。

「ここからハーレムでんがな・・・。」

車の窓から顔を出して周囲を見渡すと、前方約150メートルくらい先にスーパーらしきものが見えた。

私は意を決して、そこまで冒険することにした。

運ちゃんは「気ーつけなはれや、万が一なんかあったら骨は拾うたげますし、線香もあげさせてもらいまっさ!」と、ひとごとのように私に囁いている。

私は、「日本には旅と風俗は道連れという諺があるんじゃ、お前も一緒に来い!」と心の中で叫びながら身支度を整えた。

すなわち、腕時計は当然外し、だらしなくスニーカーの紐をほどいたり、シャツもだらしなくたくし上げ、髪の毛もボサボサにして、なるべく現地人に見えるように工夫した。

顔に靴墨を塗りたくって黒人にでも成りきろうかと思ったが、往年のシャネルズでもあるまいし、万が一裸にされてばれたら格好悪いと思ったので止めた。

さて、いよいよ出発である。

目的は、ここからスーパーまで行って帰って来ることである。

私は村田英雄の「花と龍」を口ずさみながら歩を進めた。

映画なんかでよく観るシーンのように、町の辻々の至る所で昼間というのに仕事もせずに多くの住人がたむろし、私に険しい視線を投げかけている。

目的のスーパーへ入った時は、店員をはじめ数名いた客が全員私をじろっとにらみ付けた。

その目にはありありと「なんでお前のような奴がここにいるんだ!」と訴えかけていた。

まさに生きた心地がしなかった。

そういえば、成人して初めて風俗へ遊びをしようと、その手の店に行った時も同じ心境であったような気もする。

本当に怖かったが、それよりも他では味わえない冒険をしているんだという興奮と喜びの気持ちがその時は恐怖心に勝っていたのである。

このあたりも、初めて風俗遊びをした時と似ているが・・・・。

私は悠々とそのスーパーでタバコを買い、走り去りたいのを我慢して、また歩いてタクシーの待ってくれている所まで戻った。

帰りは何故か谷村新司の「昴」を口ずさんでいた。

戻ってみると背中にはビッショリ冷や汗をかいていた。

数日後聴いた話であるが、当時黒人と韓国系アメリカ人とはたいそう仲が悪く、抗争が絶えないとのことであった。

彼ら黒人には、同じ東洋人である韓国人と日本人との区別などつかなかったであろう。

私は生命知らずであった・・・・。


To be continued!




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