サンフランシスコ紀行

ツィンピークスの丘から
photographs courtesy Philip Greenspun



Vol.2 米国への第一歩!

☆搭乗機がアメリカのサンフランシスコ国際空港に着いたのは、その日の午前11時ごろであった。

私は、まるでマッカーサーのように傲慢な面もちで、ゆっくりと飛行機のタラップを降りながら感慨に耽った。

なお、その際にコーンパイプをくわえようとしたらスチュワーデスに叱られてしまった。

思えば、私が米国を視察のため訪れたのは、決してHなものが見たいという不純な動機や、あるいは国外逃亡を企てたからではなかった。

ところで、元来、私は英語よりもドイツ語の方が得意であった。

その理由というのも・・・・

「またいつの日かドイツと手を組んで戦争をするであろう。 そうなれば意志の疎通を図るためにもドイツ語を勉強しておいた方がよいにちがいない!」

・・・・・というものからであった。

だから当初は、ドイツへ行くつもりであったのが、それがアメリカになったのは・・・・

「またいつの日かアメリカと戦争をするであろう。 そうなれば、今度こそ精神力と風俗ギャルの多さで日本が勝つにちがいない。 さすればアメリカを占領せなあかん。 そしてそのためには、アメリカの言語なり地理なり風土なり人情なりを視察しておく必要があろう!」

・・・・・という単純な理由によるものであった。

それはさておき、米国への第一歩をしるした私は、ローマ法王のごとくに大地にひざまづき、祝福のキスをしようと思ったのであるが、まわりの眼が気にかかり敢えて思いとどまった。

そうして入国審査を待つ長い行列の人となったのである。

ところで外国を訪れた旅行者が、まず退屈し、そして疲れさせられる思いをするのが、この入国審査を待つ間であろう。

私はいつもアメリカを訪れた時は外国人の受付の列ではなく、胸を張って威風堂々とガラ空きのU.S. CITIZEN、すなわちアメリカ市民(国民)専用の受付を通ることにしている。

日本と違ってアメリカの公務員はいい加減である。

万が一おとがめをうけたら、

"Sorry, I must hurry up! 'Cause my dad's bound to die!" 「すんまへんなー、ワシ急いどりまんねや! おやっさんが死にかけとりまんねん!」

・・・・と言ってやればよい。

洋の東西を問わず、言い訳には身内の不幸を捏造するのが一番の策である。

しかし、それは後々になってからのことであり、その時の私は、判決を待つA級戦犯のごとくに、神妙な顔つきで外国人専用受付の列の中のひとりであった。

その後、私は飛行機をJALからUAの国内線に乗り換え、アメリカでの初の滞在地であるロスアンゼルスに向かったのであった。

だが、私はそこで異様な光景を目撃することになる・・・・・。


To be continued!




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