死の恐怖を乗り越えて

私はユジン・ショウと申します。
幼い頃から家族とともにこの仏法を信心してきました。
今般、私は大きな難に直面しましたが、同時に大きな功徳も受けることができ、私のそれまでの半生を見直すきっかけともなりました。
今は私が向かい合うことになったこの大難に心から感謝しております。
私は大手の航空会社にキャビンクルーとして勤務していましたが、2年前にチーフ・パーサーに昇格することができました。
仕事は多忙を極めるも充実した生活を送っていましたが、そんなある日、ショックな出来事が私の身に起こりました。
2013年9月、受診した健康診断で癌が発見されたのです。
その年の8月に友人と日本に旅行し富士山に登ったのですが、その前の月の7月には右足の付け根にしこりが見つかり気にはしていたのですが、まさかそれが癌だったなんて。
病院での精密検査の結果、私の癌はリンパ腫である白血病でした。
不安に苛まれた私はすぐにシンガポールの祖父母に会いに行きましたが、祖父母に会った後、またシンガポールからオーストラリアへの帰還途中、涙が止まりませんでした。
そうして、私は私が癌であることが信じられませんでした。
それまでは、大きな病気をしたことがなく、健康的な生活を送ってきたからです。
私は来る日も来る日も一日中泣き続けていました。
私は仏壇の前に座り御本尊様に訴えました、「なぜ私がこんな目に遭うのでしょうか? なぜこのように苦しまなければならないのでしょうか?」と。
2週間後、私は白血病専門医の診断を受けました。
その結果、私の首と脇の下に新たにしこりが見つかりました。
リンパ腫には30以上の種類があり、検査の最終結果が出るまで二ヵ月かかりました。
最終的に私は濾胞性(ろほうせい)リンパ腫と診断されました。
医師は私の癌が不治の病であり、私に残された選択は5段階からなる化学療法だけだと宣告しました。
私は医師に、「私はもうすぐ死ぬのですか?」と尋ねましたが、彼は私に数々の癌の症例を話すのみでした。
彼が言うには、進行の早い癌もあれば、進行の遅い癌もあるということでした。
そして、私の濾胞性リンパ腫は進行の遅い癌であると告げました。
医師は、現在の私はまだ重篤な症状が出ていないので、すぐには化学療法の必要はないと言います。
その後数週間、私は自身の病気である濾胞性リンパ腫について調べました。
その結果、この病気はアジア人の発症例は極稀であり、罹患者の平均年齢は60歳であることなどが分かりました。
私はまだ36歳なんです!
その後の数ヵ月間は、私は私の弱い心との葛藤の日々を送りました。
私は私の病気が不治の病だなんて信じたくありませんでした。
そうして私は御本尊様の前で泣き明かすのでした。
それまでの私は信心が強盛ではなく、死への恐れが心の中を支配していたのです。
しこりは私の体中にできていました。
知人の励ましや助言なども感謝していましたが、私にとっては日々の生活や仕事がまさに闘いでした。
私は空港の職員専用駐車場から職場まで空港バスを使用せずに、徒歩で唱題しながら通勤しました。
それはとてつもなく長い距離のように感じられました。
例え自分自身は大難を抱えていても、職場では皆に笑顔で接し励ましを送らねばなりません。
私は獅子が吠えるように勇敢に自身の宿命と闘っていこうと決意するに至りました。
私はこの仏法の偉大さを、信心の実証を証明したいです。
そうして、私の今世での使命を果たし、人間革命をしたいのです。
やがて私の化学療法が始まるでしょう。
私は勇気をもってそれに専念し、同時にこれまでに私を支えてくれた友人や知人、オーストラリア創価学会(SGIA)のメンバー、それに家族の私への愛と支援に感謝したいです。
私はこの闘いから逃げないし、人生を諦めたりしません。
私は同じ病に苦しむ白血病患者を支援する財団のボランティアに参加しました。
そうして社会にも貢献していくつもりです。

おわり。


(英語版/ENGLISH)

(翻訳者注)
体験談のユジンさんはシンガポール出身で、殆ど着の身着のままでオーストラリアに移住、当初は非常に困窮した生活を送っていました。
しかし、信心を根本に頑張った結果、大手の航空会社での勤務を勝ち取られました。
そんなある日、今度は大きな病魔が彼女を襲ったのでした。
その後、体験談に書かれてあるとおり化学療法が成功し、現在は信心に活動に励んでおられます。



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