藤沢圏/湘南台支部/婦人部員Y.Y.さんの体験発表



私が信心と出会ったのは、中学二年生のころでした。
物心ついた時には私の家庭は父親が酒を飲むと暴れる。人に迷惑をかける。とい う状態で、暴力が耐えない家庭でした。
近くの公園のコンクリートのトンネルでよく父が寝静まるのを母と肩を寄せ合い 待ったものでした。
公園から見える町の風景は、とてもおだやかで、あかりが暖かく見えました。
幼心に「なんでよそのおうちは静かなのだろう。」と不思議でなりませんでした。
小学校低学年までは会社を経営していたのでありとあらゆる幼児教育を受けてき ましたが、小学校高学年で会社が倒産。
父の暴力はますますひどくなるばかりでした。
私の左の耳はその時の後遺症か未だに聞こえません。
とにかく酒を飲むと手がつけられなくなります。
成績が落ちたと通知票をやぶかれ、何かが気に入らないと物は壊す。
ほうきの枝で殴られたり、顔にあざをつくったまま学校に行くのはしょっちゅうでした。
二階から突き落とされたり、母は頭をふるびた包丁で刺され数週間のキズになったり・・(語り尽くそうにも尽くせないほどひどかったです)今考えると、よく死ななかったものだとぞっとします。
中学に入り、母の友人が学会員であったために色々良くしてくださり、母と私と 弟が入信。
御本尊様をいただくことができました。
が、酒を飲んで暴れた父は母のいない時に御本尊様を破いてしまったのです。
それ以来人はよりつかなくなり、ますます家の状態は悪化していきました。
暴力がひどくて母親が弟を連れて逃げた時に残された私は父親にめちゃくちゃに殴られました。
そのまま二階からとびおりて破れた服。サンダル姿。着の身着のままで児童相談所に飛び込みました。
しばらくは児童相談所におりましたが、里親に出され、なんとか中学に通うことはできました。
母親も結局父とは一緒いることはできずに婦人相談所にお世話になり、別々の生活がはじまりました。
母は私をひきとるまで必死の思いで頑張ってくれたようでしたが、一家離散の宿 業をもっていたようです。
その後母は約束通り私をひきとり高校までなんとか出してくれましたが、私はひねくれた性格になっていじめにあったり、誰にでも反抗的で母にしてみれば第二の悩みの種だったようです。
当時の私は、人間不信で人のために何かをすることぐらいばかばかしいものと考えていました。
自殺願望、生まれてこなければよかったと、ずっとそういう思いでおりました。
父親から逃げるために住所はそのままでなんとか学校に通うこともできるように なりましたが「あんな人の子供だから。」といわれることがくやしくて、高校を 卒業と同時に奨学金で夜間の幼稚園の先生の学校に行きました。
母は信心につきはじめましたが、御本尊さまはいただけず、内徳信仰の日々がつづいていました。
私は昼間は幼稚園で働き、夜は学校に通って幼稚園、保母の資格をとるために働いていました。
当時は、御本尊様の力を借りなくても自分の力で何でも乗り越えられる。と過信しておりました。

19才になったある日。
新聞の片隅に父親が殺害されたという記事が載りました。
離れていた父親が殺されてしまったのです。
ケンカの際に酒で悪化していた肝臓が破裂しそのまま他界したそうです。
母は結局行くことができず私と、父の兄弟が遺体確認にまいりました。
今でも忘れられません。
死因を確かめるための解剖。
あちこち切り刻まれて乱雑に縫い合わされた体。
紫色になって腫れた顔。
たくさんの人を苦しめて、たくさんの人に暴力をふるってきた人はどんな姿になる のか。
御本尊様をやぶいて、結局自分も切り刻まれるようになるのだと・・
火葬場では隣りで盛大な葬式が行われており、たくさんの人が悲しんでいました。
こちらは私と叔父、叔母の三人だけです。
みじめでした。
情けなかったです。
さんざん父に迷惑をかけられていた兄弟たちだったので、とんでもないことをし でかしてくれたもんだと父の遺骨を荷物のように扱いながらふるさとの四国に持 って行きました。
私はこの時改めて仏法の厳しさを知りました。
父は死をもって私に仏法の厳しさを教えてくれたのです。

それを機会に独立して生活する時に素直に御本尊様をいただくことができました。
信心につくことができたのです。
信心しはじめてからの私は周囲の方々に恵まれました。
幼稚園の先生から転職して人材派遣会社でパソコンを学び行く先々で本当に素晴らしい友と出会い現在もその関係が続いております。
聖教新聞を通して、組織を通して勉強する機会があったことで、社会でも友人関係でも人間はこんなに変わって行くんだということがわかりました。

それからまだ体験は色々ありすが、縁あって主人と結婚し主人の両親、妹、私の弟の本尊流布ができ、やっと世間様で言う普通の家庭を築けることができました。
そして、今年に入ってこちらの湘南台に引っ越しをしてきましたが、今までの無理がたたり、甲状腺抗退症という難病が発病しました。
正式な名称は「はしもと病」といいます。
「バセドウシ病」は有名ですが、その逆パターンといっていいでしょう。
のどぼとけの下の甲状腺からホルモンが分泌されなくなり、体中がむくんで痛み、だるくて何もできなくなってしまうのです。
一時はガンか肥大かのどちらかだということで周囲の方を心配させてしまいました。
皆さん本当に沢山のお題目を送って下さりびっくりしました。
学会は暖かい!涙の出る思いでした。
自分もこんなに周囲の方々に激励されてボーッとしているわけにはいきません。
当の自分は、気持ちは焦るばかりで、お題目だけではなく何かをしなければ!
周りの幹部の方々が戦う場を与えてくださり、唱題、活動と、だるさやめまいと戦 いながらやりぬきました。
おかげさまで、退院から四ヶ月目ですが検査の結果が血液中の数値が健康な方と同じ数値にまでなっているではありませんか!
「最低二年間は毎日薬を飲み続けなければならないでしょう。完全に治りませんよ!」
そう言っていた先生が首をかしげていた病気です。
体力が衰えているのでダルさや神経痛のような痛みはほんの少し残っていますが、発病から五ヶ月でここまでになったのは異例だったようです。
題目は本当にすごい。
学会活動はやっぱりすごい。
皆さんには本当に感謝しています。

先生のご指導の中に、人生は「楽しむ」ためにある。
人生は「幸福」が目的である。
一生のうちで、楽しかったことと苦しかったこととの差し引きが、どうなるか。
楽しかったことの方が多ければ幸福である。
苦しかったことの方が多ければ不幸である。
そして、賢明な人、強い人はどんな苦しい時でも、勇気をもって乗り越えて行ける。
勇気がなく、くよくよと悲観的な人は、小さなことにも苦しんでしまう。
皆さまは、人生を楽しめる賢者であっていただきたい。
とあります。
歓喜の心を忘れずに、この病気を治して、皆さんに勝利の報告をしたいと思います。

以上

(藤沢圏/湘南台支部/婦人部員Y.Y.)

***ご主人様の体験発表へ***

*人物の名前はご本人の希望により一部変えています。



戻る!



All Rights Reserved,Copy Right(C)Y.Bijohira/OfficeLEIBSTANDARTE,1997

Nr.19971023S0001