叔母とは、生まれた時から、アメリカに来るまでずーっと一緒に住んでました 。
若い頃に結核にかかり、結婚もせずに、片方の肺を摘出、一つの肺だけで、生 活していました。
以前から体の調子は、悪かったのですが、ちょうど10年前に、その頃私ハワ イに2年ほど住んでいたのですが、ロスに帰る事になって、その前に日本によってからと思い、日本にいきました。
で、叔母に会いにいったのですが、急に様態が悪くなり、入院し、母をロスから、すぐに呼び、二人で看病する事になったのです。
叔母も学会に入っていました。片方の肺しかなかったので、他の臓器全てに負担がかかり、心臓以外の全てが、悪くなっているとの事でした。
それでも最後までか細い声で勤行、御題目を、上げている叔母でした。
私も学会に入ったというと、とても驚き、私が勤行をしている姿をみて、とて も喜んで、安心してくれました。
生まれた時から一緒に過ごした私の事を本当の子供のように心配してくれていたので、、、
その後、叔母は亡くなりましたが、私はずーっと手を握っていました。
亡くなる少し前に、それまで顔と、唇は、紫色で、とても呼吸が苦しそうだっ たのに、とっても奇麗なピンク色になり、肌も真っ白に輝き、まるで口紅とほお紅を塗っているような、ピンク色で、爪までがマニキュアを塗っているようなピンク色になりました。
私は、びっくりして”なーんだ、もう元気になるんだ!”って、本当に喜んだ のですが、叔母は、その後すぐに死んでしまいました。
あれが、成仏というのでしょうか?私は目の当たりに見ました。
今度その後の、御葬式が、又大変で、叔母の身内が、学会の御葬式は困るといい、遺体を引取る時に病院でもめ、けっきょく浄土宗の御葬式をする事になってしまいました。
でもそれで、引き下がるわけにはいきません。
べつの場所で、叔母の遺体はありませんが、叔母のご本尊様で、御葬式をしました。
そんな時に学会の力はすごいですね。
わたしは、ぜんぜん知らない方がたくさんきてくださって、みんなで、御題目を上げました。
叔母の棺の中の御数珠もみんなが、見ていない時にこっそり叔母の使っていた学会の御数珠に変えて、御経本と一緒に入れました。
御化粧もしてあげたのですが、する必要がないほど、まるで10代のようなきれいな肌で、ツルツルでした。
私のどこにそんな勇気があったのか、今思えば、不思議です。
あの時日本に行ったのも不思議だし、でも最後に少しの間でも叔母の側にいられた事、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
もしあのまま、会えずに別れる事になってしまってたら、後悔しても、しきれません。
今、わたしが、こうして、この信心に出会って、やってこれたのも、もしかしたら叔母の御題目のおかげだったかもしれませんね・・・・。
おわり。
(SGI-USA/LAX 由美)