決定打となったソビエト連邦の崩壊~ベルリンの壁崩壊は、共産主義の敗北、資本主義の勝利の象徴といわれる。
確かに、共産主義運動が民衆を苦しめた独占資本家&封建国家を打倒した功績は称えられるが、代わって登場した党官僚は、特権階級と化し人民の為の理念と機構は、いつしか人民抑圧の機構に転倒していった。
彼らは、民衆をマスとして扱い、人民にしようとした傲慢さ=管理=徹底した民衆蔑視に陥って、自ら上に向かって堕落していった。
また、一生懸命働いても適当にやっても同じ労働対価というならやる気も生産性も落ちるというのは、ホモサピエンスの現状では致し方ない事で、(特権階級を除いて)全てに理念的な平等を求めようとしたその人間観は、欲望の論理にも勝てない脆弱なモノで、良く言っても理想主義的すぎたといえる。
今残る社会主義国もほとんどが経済の自由化を取り入れてその命脈を保つにすぎない。
だからといって経済効率優先で餌に釣られて自ら馬車馬のように働く資本主義がいいとも思えない。
人間の欲望に依拠する資本主義も、共産主義的平等・福祉・管理…まで取り込んで、物質的誘惑の中に諸矛盾を隠蔽しているだけではないか。
それが勝利だったのか。
現在の不況はそれを雄弁に物語ってはいないか。
また、戦後一貫して働き続けて、世界有数の預金残高、対外債権を持ち、工業立国として不動の地位を占め、尚かつ経済黒字を続ける日本の「不況」とは何なのか。
経済実績とは裏腹の、あまりにも幸せとは程遠いすさんだ心象風景が広がっている。
いま、われわれの声は何処に届いているのか?
単なる国会の多数決による民主主義という体裁は予定された合意のファシズムという言い方まである。
システムがどうあれ権力者はいつか堕落し支配&被支配関係に陥る。
これらは体制の問題なのではなく、人間の問題、思想・哲学の問題なのではないか。
特に、環境問題を含め成長の限界が見え始めた今、経済成長神話に代わる新しい夢を見てもいいだろう。
・ところで石野真子が最も人気のある国、それはキューバ。何故か。
彼女がかつて主演したTVドラマが最近放映され圧倒的視聴率をとった。
ロシアの凋落で東側陣営に属するキューバは経済危機に瀕してはいる。
しかし、あの石野真子も驚く南国キューバの人たち何処までも明るい笑顔があった。
訪れた病院での魂の看護ともいえる心のこもった医療に心から感動していたのが忘れられない。
アメリカのすぐ間近かに位置し、幾多の試練を経ながら、独自の社会主義を貫くキューバ。
その象徴は、キューバ革命の英雄であるゲバラやカストロではない。
正義と人間の尊厳の道標(みちしるべ)、そしてキューバ共和国精神の使徒と呼ばれ、革命に先立つ独立闘争の途上に倒れた、詩人・哲学者・教育家にして革命家、ホセ・マルティの思想が息づく国で、その遺志をいまに継ぐという詩人政治家・カルロス・マルティに会った。
キューバ国立美術館展のために来日中の同国、文化副大臣カルロス・マルティ氏へのインタビューを依頼されたのは取材前日。
その日の聖教新聞紙上では、先生と氏の対談が大きく掲載されていた。
氏はいわゆる社会主義一般に見られる管理抑圧されたイメージとはまったく違っていた。
発する言葉は、さまざまな差異=違いを越えた人間と人間の友情や信頼、精神文化の可能性を称えて美しく、聞く者の心を捉えた。
「国や体制、言語、人種、気候風土…は違っても、同じ絵を見て感動し、又尊敬し合う事ができる」
汝、差同性に着目せよ! つまり、お互いの違いを見つけて遠ざかるのではなく、異なるものの中に魂の同系性を発見するその態度は、政治家というより、人間の可能性を探求する詩人の営為。
友情による世界制覇、ボーダレスな魂の連帯を希求する道人(みちびと)だ。
“カリブの真珠”と呼ばれ、かのコロンブスが「人間が見た最も美しき島」と形容したキューバ。
今そこにあのキューバ革命さえも包摂し、それを産出した偉大な文化が、紺碧の空とエメラルドグリーンの海以上の輝きを放つ。
勿論、異論はあるだろう。
でも、詩人の魂を通して僕が見たキューバは、確かに精神文化の楽園と写った。
「人間同士が切り離されていくのではなく、自分の中に新たなものを発見していく人間の自由・解放のために戦っている」詩人を前にして、甘美な物質文明はにわかに色褪せ、希望の未来に向かって、無限の広がりをもった自身の内なる無限の豊かさとの感動的な出会いが生まれた。
そうだ、おのれの内なる真実に目覚めた時、世界はこんなにも豊かに見えたのだ。
氏が何物にも代え難い贈り物のように届けてくれたその感動を、人の営為の根拠となって全てを産み出し、存在に潤いと輝きを付与する内なる豊饒さと言い換えてもいい。
そうだ、僕が表現したい感動の正体は、実は仏(仏法)の持つ大きなポテンシャル(可能性)ではなかったのか。
さらに、世界の一流が先生に求め、堅い友情を結ばれているその絆とは、文化の根元に在って、全てを産み出す人間の内なるこの豊饒さの出会いなのではないか、と。
豊饒な魂に抱かれて全てを許され癒されたい人生がある。
どうしようもない時に帰る自身の懐にも、自ら魂を蘇生させる力があることに気付いた。
理想や夢、希望よりお金や地位、名誉…のリアリズムが幅を利かせ、目を覆うばかりに廃れゆく世紀末情況に、確かに信じられる拠点としての豊かな人間性と、それに基づく友情の連帯は、何にもまして人の根源的希求ではないか。
自身の豊かさに目覚めてこそ、人は希望の未来を夢見て進むことが出来る。
立場・情況を越えた、人と人を結ぶ魂の絆に支えられて…。
今はまだ見えないかもしれないけれど、必ず自身が納得出来る地平がある、と信じる者にしか、未来を切開く夢の道は見えないのだ。
1998年8月22日
Yumeno@新宿区男子部
「同時代を考える会」HomePage/http://www.amy.hi-ho.ne.jp/yumeno/