シンガポール創価学会(SSA)壮年部体験談集「突破」シリーズ1

闘争に次ぐ闘争、勝利に次ぐ勝利

パジール・リス地区
ヨン・キンファイ地区部長


私は、悪性リンパ腫と診断されました。
主治医のその宣告は、私を奈落の底へと突き落としました。
私は恐怖に打ち震えました。
そうして自分自身に問いかけました。
「何故なんだ? 何故俺がこんな病気に!?」
私はまだ38歳、タバコも吸わず、飲酒も付き合い程度、週に3回は定期的に運動もしていました。
私には、まだ手の掛かる二人の幼子も抱えていました。
私の人生は崩れ去りました。



たとえどんなことがあっても、一番大切なことは祈り続けることである。
されば、絶対に幸福な境涯になれるだろう。
たとえ最初のうちは、思うようにいかなくても、後々に振り返ってみたときに、一番良い方向に向かっていたという、深い意味に気づくだろう。
それ自体が、素晴らしい冥益なのである。
池田大作


1978年、私は母の勧めで14歳のときに入信しました。
たくさんの功徳を頂き、2000年に創価スタリオン・グループに参加して組織構築に貢献する決意をしました。
私たちのグループは、主要文化行事に於ける管理とサポートを任務としていました。

その間、私は日蓮仏法のより深い理解と、グループでの活動を通しての人間形成という功徳を得た者となりました。
この10年を通じて私が確信をもって言えることは、私自身の信仰とメンバーのサポートにより、経済的にも、家庭環境や健康状態、それに仕事の面に於いても、大きなチャレンジであったということです。
振り返ってみれば、それらの苦難はまた、私自身の金の想い出でもあったということです。
なぜなら、それらに勝利することにより、日蓮仏法の偉大な体験を手にすることができたからです。

2002年8月、私は悪性リンパ腫と診断されました。
主治医のその宣告は、私を奈落の底へと突き落としました。
私は私の耳を疑い、それを受け入れることができませんでした。
私は恐怖に打ち震えました。
心の中で題目を唱え、主治医の診断ミスであるようと、やけくそになって祈っていました。
そうして自分自身に問いかけました。
「何故なんだ? 何故俺がこんな病気に!?」
私はまだ38歳、タバコも吸わず、飲酒も付き合い程度、週に3回は定期的に運動もしていました。
何よりも、私はまだ手の掛かる二人の幼子も抱えていました。
私の人生は崩れ去りました。

帰宅するや、私は直ちにご本尊の前で祈りました。
やがて落ち着きを取り戻した私は、主治医の宣告を受け入れ始めました。
私は、自分自身に言い聞かせました。
「これは私の信心が試されているんだ、負けてはだめなんだ!」
私は御書の一節を想い起こしました。
苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて南無妙法連蓮華経とうちとなゐさせ給へ、これあに自受法楽にあらずや、いよいよ強盛の信力をいたし給へ。
(四条金吾殿御返事 p.1143)
私は自分自身に、「勇敢であれ、そして題目で試練に立ち向かえ!」と言い聞かせました。


苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて南無妙法連蓮華経とうちとなゐさせ給へ、これあに自受法楽にあらずや、いよいよ強盛の信力をいたし給へ。
(四条金吾殿御返事 p.1143)


化学療法を受けている間、私はガン腫瘍が消えてなくなるようにと、たくさんの題目をあげました。
それは、一日1時間から10時間へと増へていきました。
腫瘍はなくなりませんでしたが、私の信心はなくなりはしませんでした。
私は新しい目標を定めました。
それは、2003年3月までに、副作用もなく治療が功を奏し完治するということです。
化学療法を受けている間の私の苦悩は、言い表すことができません。
治療から2週間後、私の髪の毛は抜けてなくなりました。
それは、ひどく憂鬱な経験でした。
しかしながら、私よりももっと苦しんでいる他の患者を観たときに、私は妙法を保ち、真剣な祈りによって宿業転換ができ、しかも家族やシンガポール創価学会の同志のサポートを受けることのできる幸運を実感しました。
この深い感謝の念で、ご本尊様に向かって唱題したとき、私は涙が止まりませんでした。

初期の治療には、6周期の化学療法が必要です。
しかしながら、アメリカでの医学会に参加した私の主治医は、4周期で効果が得られたという他の専門家とともに、私の病状について協議しました。
私の目標は、2003年3月までに治療が成功するということです。

実際には、この病に打ち勝つことは、私の人生における偉大なターニングポイント(転換点)となりました。
それは、人生に対する理解と将来への確かな指針を私に与えたのです。
このチャレンジをとおして、私は池田先生のご指導に感謝しています。
それは、次の先生のご指導です。
「たとえどんなことがあっても、一番大切なことは祈り続けることである。
されば、絶対に幸福な境涯になれるだろう。
たとえ最初のうちは、思うようにいかなくても、後々に振り返ってみたときに、一番良い方向に向かっていたという、深い意味に気づくだろう。
それ自体が、素晴らしい冥益なのである。」

病気のために、私は六ヶ月間もの間、働くことができませんでした。
経済が悪化していましたが、私の雇用主は、私をレイオフ(一時解雇)しないばかりか、給与も支払い続け、治療費の面倒までみてくれました。
しかも、昇進さえしたのです。
信心を貫くことにより、私は勝利を獲得し、ご本尊様のパワーと妙法の功徳を立証しました。

広布の活動に一層邁進したので、私の生活環境は凄まじく好転しました。
仕事に於いても、私はサービス・マネージャーから副経営責任者へ昇進し、海外事業の責任者となりました。

しかしながら、私の人生は変化に充ちています。
突然、私は、会社の経営方針をめぐっての意見の相違から、退職を余儀なくされました。
私の家族は唯一の収入源を失ったのです。
そのときの経済的苦難は、私にとって新しい仕事を見つけることさえ阻んでいました。
幸運なことに、11年前に専業主婦になっていた私の妻が、家計を助けるために仕事を見つけてきました。

2009年3月、会社での業務が終了した時、経営方針に異を唱え、役員から目をつけられていた私にだけ、全ての株主が損害賠償を請求してきました。
相手側弁護士は、支払うべき損害賠償額が記載された文書を私に送りつけてきました。
そこにまた、私の不作為行為に対して法的処置をとる旨が記載されていました。
更には、私が他の法人を立ち上げたことで会社業務に支障をきたしたことについても損害を請求するとありました。
そして非公式に、私が不法行為を認めるならば、法的処置はとらないと認められていました。
私は憤慨し、身に覚えのない過ちを認めることを拒絶しました。
私は正義を信じ、弁護士が私を助けてくれるよう一心不乱に祈りました。
やがて、知人を介して、私は法的助言者を見つけました。

彼は私に、法廷闘争を考え直すよう忠告しました。
というのも、本件はとても複雑で、解決までに長期を要するからです。
それに加えて、他の当事者が会社の資本を利用している間、私は私自身の預貯金で補填していました。
題目根本に、私は3月末までに問題が平穏に解決するよう祈りました。
偉大な実証として、私の祈りは叶いました。
私は、相手側弁護士から訴訟を提起する旨を通知されました。

月日が過ぎ去っていきました。
6ヵ月後、問題は長期化する様相を見せ、泥沼化していきました。
その上、私に対して訴訟が提起され、かつての私の雇用主もまた、私と組んで新たに法人を設立して会社業務を妨害した容疑で、同僚であった前サービス・マネージャーを訴えてきました。
私は事件に巻きこまれ、重要参考人となってしまったのです。

弁護士のアドバイスにより、私は私の合法的な報酬と保有株式の買取を求めて、旧経営者に反訴を試みました。
突然、私は複数の裁判を抱えてしまったのです。

日々祈る中、私は弁護士と会い、打ち合わせを重ね、証拠集めに奔走しました。
この間、私はたいした収入もなく、つつましい生活を送っていました。
安定した仕事を探す暇さえなかったのです。
安定した収入もなく、裁判費用に預貯金を当てねばならず、完全に破産状態の生活でした。

想像していた以上に苦闘は長引きました。
全ての出来事が長期に亘り、費用もかさんで苦難を伴いました。
時たま、私は今回の法廷闘争に疑念が生じました。
もっと早くに私が闘争をあきらめていたら、こんな苦労はしなかっただろうにと。

そんな時、私は池田先生ならこんな状況のとき、どうされるだろうかと自問しました。
先生の次のご指導が私を奮い立たせました。
「我々は正義と善の王者なるがゆえに、他者から妬まれ迫害されるのである。
しかしながら、我々が揺るがない信念を保持し、誠意と真実を示し続ければ、最後には必ず勝利を得ることができるだろう。
いかなる難が来ようとも、決して負けないことが一番重要である。
そのような難は、人間革命をする上での金の想い出となろう。」

私は、正義は必ず勝つと確信し、何があっても耐えていこうと決意しました。
ガンとの闘争では、私自身の信心を見つめ直すきっかけとなりました。
私はもう一度勝利せねばなりません。

2009年の末頃になると、私は全く意気消沈した状態でした。
しかしそんな時に、私は支部長及び創価スタリオン・グループ長としての職責の就任を打診されました。
私は躊躇しました。
当時の私は、とてもそんな職責を担う能力や時間があるとは思えなかったからです。
そんな時に、私は池田先生の大阪事件を思い出しました。
先生は、あのような闘争の最中にも、広布の活動に躊躇されませんでした。
世界広布への道に邁進されていたのです。
私は師匠に学ばねばなりません。
困難から逃げ出してはならないのです。
私は、広宣流布の活動を続け、自分の使命を果たさねばならないのです。
この決意をもって、私は支部長及び創価スタリオン・グループ長としての任命を受けることとしたのです。

2010年冒頭に当たり、私は年内に完全勝利するとの誓願を立てました。
私は、正義の実現に向けて以下の目標をたてました。
・裁判に関わった全当事者間の和解
・私の正当な賠償金の受領
・経済的な支援の獲得
・裁判に関わった全ての株主や弁護士たちの幸せと健康

2010年3月25日過ぎに、私の弁護士が私の4件の裁判に関して、裁判所からの通知を受領するという明確な進展がありました。
私は複雑な心境でした。
裁判が早期に終了するなら、私にとっては幸せなことです。
しかしながら、裁判所からの通知は、高等裁判所からの審理であり、約600万円もの費用が要るとのことでした。
いったいどこにそんな大金があるのでしょうか!?

一方、旧経営者側は、公判を3月から7月へ、7月から9月へと、2度も延期を申し入れました。
前サービス・マネージャーに対する彼らの裁判は、7月31日からと予定されていました。
公判から3日後、旧経営者側は、証拠不充分に因り敗訴し、裁判費用と前サービス・マネージャーへの訴訟費用の支払いを命じられました。
正義は実現したのです!

旧経営者側の敗訴後の落胆を考えて、私は早期の和解合意がなされるべきであると確信しました。
私は、8月末には法廷闘争が解決するようと、更に題目をあげました。
しかしながら、題目をあげればあげるほど、問題は更に複雑になっていきました。
旧経営者側は、突然に弁護士を変更し、指導的な弁護士事務所からのベテラン弁護士を含む弁護団を編成してきました。
弁護団が結成されるやただちに、訴訟の修正を要求してきました。

この突然な修正で、公判はまた2010年11月に延期されました。
頻繁な公判の延期は無力感を生じ、訴訟手続き対して疑念を抱きました。
私は猜疑心をもちました。
「証拠もないのに、単に我らは私を訴えたいだけなのではないか?
なぜ裁判所は訴訟の修正を許可し、何度も何度も公判を延期するのか?
旧経営者側はお金もあり、長期の裁判で私を拘束するためにベテラン弁護士を雇うこともできる!
これは公平じゃない!!!」

私は、戸田城聖第2代会長の、次のご指導を思い出しました。
「仏法は、国法や社会法よりも高次元なものである。
なぜなら因果法であるからだ。
大聖人は私たちに、妙法と妙法への信心が人生に於いて宿命転換する唯一の道であると教えてくださっている。」

私は、気持ちを引き締めました。
そうだ!
たとえ旧経営者側がベテラン弁護士を雇おうとも、私には妙法がある。
私は負けない、私には絶対に負けない信心がある。
私は、裁判が早期に終了するように、更に力強く題目をあげました。


法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる、いまだ昔よりきかず・みず冬の秋とかへれる事を、いまだきかず法華経を信ずる人凡夫となる事を、経文には「若有聞法者無一不成仏」ととかれて候。
(妙一尼御前後消息 1253ページ)


実際のところ、私は8月末には、訴訟費用を支払うお金などなかったのです。
でも不思議なことには、毎日、弁護士に会っていたのにも拘らず、彼は私に費用の支払いを求めなかったのです。
9月に、旧経営者側の弁護士は、突然に示談(和解)での解決を申し入れてきました。
全ての当事者が、和解に向かっての交渉開始に同意しました。
私は、私の祈りが叶ったことに大いに喜びを感じました。
2010年10月12日、合意書(示談書)が作成され、当事者により署名されました。
私の法廷闘争は終に終焉を迎えました。
加えて、私は正当な賠償金を10月22日に受領しました。
そうして10月25日には、私の数年来の目標としていた、シンガポール創価学会(SSA)建設基金への財務もできました。

私は終に勝ったのです。
私は、私の全ての祈りをとおして実証を示せました。
大聖人様が御書で教えて下さったように、
法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる、いまだ昔よりきかず・みず冬の秋とかへれる事を、いまだきかず法華経を信ずる人凡夫となる事を、経文には「若有聞法者無一不成仏」ととかれて候。
(妙一尼御前後消息 1253ページ)

私の冬は終わり、春が来たのです。
この度の闘争は、私に本当の意味での信心と正義を教えてくれました。

私は心から池田先生と母、それにシンガポール創価学会と私を支援し励ましてくださった全ての皆様に感謝しています。
また、私の闘争の日々を支えてくれた妻にも感謝します。
私の大いなる喜びは、私の妻や子供たちが喜び勇んでシンガポール創価学会の活動に参加し、真剣に仏法を研鑽しているのを見ることです。
何故ならば、それこそが私達家族にとって、本当の幸福への道であると確信するからです。

私は、この10年以上もの間、多くのチャレンジに勝利してきました。
これからも、更なる障壁や難が競い起こって来るかも知れません。
例えどんなことがあっても、私は私の信心を磨き続け、積極的な広宣流布への活動と絶対的幸福と今世での勝利を実現します。
私は御本尊様に、私の残りの人生を広宣流布の任務を全うするために捧げますと誓いました。
2011年冒頭、2017年に向けてのシンガポール創価学会の目標設定に於いて、私は2015年までに私の支部が圏へと発展拡大するようにと決めました。
また、本物の弟子として、2030年に師匠である池田先生と共に、学会創立100周年を祝えるようにと決意しました。

おわり。





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