シンガポール創価学会(SSA)壮年部体験談集「突破」シリーズ2

人間革命の力

西ユーノス支部
ウォン・ムンファイ支部長


以前の私は、短気で横柄な人間でした。
力強い題目根本で、自身の無明と向き合い、貪(とん)・瞋(じん)・痴(ち)の三毒を勇気と智慧と情熱へと換える為に闘いました。
※貪;貪り、瞋;怒り、痴;愚かさ



仕事に於いても、他の全てと同じく、朝に勝利せねばならないことは明白である。
御本尊への真剣な祈りから朝をスタートし、生命力を漲(みなぎ)らせて仕事に取り掛かるのだ。
爽やかな笑顔で同僚に、「おはよう!」と挨拶しよう。
「声仏事を為す。(御義口伝 708ページ)」と大聖人様は言われている。
同僚の気分や職場の雰囲気を、あなたの声で高揚させていきなさい。
遅刻して来たり、覇気のない姿で出社するのが常であったならば、誰もが勝利できるという希望を持てないだろう。
朝に勝利することは、人生に勝利するための要点でもある。
池田大作


1980年、友人のスティーブ・タンから日蓮仏法の話を聞きました。
当時は家庭内に問題を抱えており、一年後に唱題を開始しました。
問題が解決した後、私の生活は平常に戻り、信心からも遠ざかってしまいました。

約9年間、印刷会社で勤務した後、私は自分で会社を起こしました。
資金的な不足もあったのですが、御本尊への信心を頼りに頑張りました。
4年もの間、必死に働き、ついに私の事業は軌道に乗りました。
1993年、私の弟が軍隊を除隊し、パートナーとして私の印刷業を手伝いたいと言ってくれました。
彼は若く、一本気な性格でした。
家族内で軋轢が生じるのを恐れた母は、あまり協力的ではありませんでした。
私は信心の先輩から指導を受け、その先輩は宿業について語ってくれました。

しかしながら、そんな宿業など乗り越えることができると考え、弟が地元の銀行から巨額の融資を引き出した後、彼が事業に加わるのを容認しました。
弟はまた、見込みがありそうな事業拡大の提案をしてくれました。
私は製造部門の責任者であり、資金繰りなどについては、信頼する弟に任せていました。
最初のうちは、全てがうまくいっており、融資金の返済についても滞ることなどありませんでした。
しかしながら、1994年、不規則な代金支払いについて、納入業者が私たちに圧力を掛け始めました。
弟は、資金繰りについては彼に任せてくれと言い、私をどうにか安心させました。
程なくして、会社は債務超過に陥り、融資金の利息も支払えなくなりました。
元来、怒りっぽく、横柄な性格の私です。
弟との喧嘩が絶えなくなり、私たちはまるで敵対関係のようになりました。
この困難な日々を乗り越えるためには、題目しかありませんでした。
私は日々4-5時間の題目をあげ、週末には10時間唱題にも挑戦しました。
最初のうち母は、私の信心に理解を示しませんでしたが、後には理解してくれるようになりました。
母は私に、弟が価値ある人生をおくるための智慧が授かるように祈ってあげてと請いました。
私は、私の人生に於いて多くの争いごとを有し、何故このようなことばかり起こるのか不思議でした。
私は、御本尊に対して疑いの念が生じていました。
何故10時間以上も題目をあげたのに、人間革命できないんだと・・・。

弟は私を憎み、御本尊に不敬を働く恐れがありました。
私は御本尊を丸めてたたみ、出かけるときにはいつもそれを携帯しました。
私の人生に於いては、度々境涯の低い状態に陥り、この先どうなっていくのだろうかと不安でした。

この苦しい時期、私の信心の先輩は、私を励まし続けてくれました。
彼は私に、私にとってはこの世における、たった一人の弟なんだよ、と諭してくれました。
逃げるのではなく、弟と真剣に向かい合い、彼の幸せを祈ってあげ、そして誤りに気づかせてあげるべきです。
私の欠点を気づかせてくれる弟として、また協力してくれるパートナーとして、私にとっては諸天善神のように、弟を処遇するべきでしょう。
私は、私の人生を深く見据え、本格的に人間革命への挑戦を開始しました。
強い題目根本に、私は自身の否定的な性格に打ち勝つ決意をしました。

資金繰り悪化の結果として、私の車のローン返済は4ヶ月も延滞し、ローン会社は車を差し押さえようとしました。
しかしながら、1995年の池田先生の2度目のシンガポール訪問に際して、輸送班の任務に就くことになっていたので、車を手放したくはなかったのです。
7日間の輸送班の任務が果たせるようにとの目標を定めて、私は強く祈りました。
この間、私は御本尊に守られました。
先生がシンガポールに来られた最初の日は、雨が強く降っていました。
ケッペル造船所近くの連絡道で、一台のトラックがスリップして、私の車の後部にぶつかりました。
驚いたことに、私の車は全くダメージを受けす、残り6日間の任務を全うすることができたのです。
当時の私はお金もなく、車にガソリンを満タンに入れるための1,260円を、父から借りねばならぬほど、生活に困窮していました。
毎日毎日が闘争であり、私は引き続き必死に題目をあげました。

先生のシンガポール滞在最終日、シンガポール創価学会本部近くを通りかかられた折、私は先生にお会いする機会を得ました。
当時は、生活に混乱を来たしていたので、先生と面と向かうのが恥ずかしく思いました。
私の瞳が先生のお姿を捉えたとき、男子部リーダーとしての職責を果たしていない私を、先生が叱っておられるように感じ、帰宅後、私はひどく落ち込みました。
男子部メンバーのために働こうと誓った当時のことを思い出しました。
当時の私は、地区内の男子部メンバー二人を誘って、3人で唱題会を開いていました。
毎日欠かさぬ唱題と仏法対話、家庭訪問、それに部員への励ましを3年間続け、その結果、我が地区内の男子部活動家の陣容は15人へと拡大しました。

会社は複数の銀行から莫大な事業資金を借りていたので、私はもはや事業を諦めざるを得ませんでした。
その後、私は事業資金の連帯保証人として、債務不履行に因り、2度も裁判所に出廷しました。
1998年、私は裁判所から破産を宣告されました。
何年もの間信心し、広宣流布のために最善の努力をしたのに、何故こんな不幸な出来事が生じるのかと、この信心を疑い始めてしまいました。

シンガポール創価学会理事長が家庭訪問をしてくださり、私はとても感謝しました。
彼は、私の謝金問題の解決と、今世での私の使命を果たすようにと励ましてくれました。
他のリーダーも私を励ましてくれ、不動産代理店業をやらないかと私に誘ってくれました。
初めのうちは、私には大した学歴もなかったので、不動産代理店業をする自信がありませんでした。
熟慮の後、不動産代理店業界に飛び込む決心をしました。
その仕事は、私にとっては始めての経験だったので、当初の2ヶ月間は、何の実績も上げられませんでした。


但し大難来りなば強盛の信心弥弥悦びをなすべし、火に薪をくわへんにさかんなる事なかるべしや、大海へ衆流入る・されども大海は河の水を返す事ありや、法華大海の行者に諸河の水は大難の如く入れども・かへす事とがむる事なし、諸河の水入る事なくば大海あるべからず、大難なくば法華経の行者にはあらじ。
(椎地四郎殿御書 p.1448)


丁度その時、私にとっては諸天善神となる、不動産会社の部長と出会いました。
彼は、私がまだ若かったので、私の仕事を手伝ってあげたいと言ってくれました。
しかしながら、彼は私に、従来よりも3倍、奮励努力して働くことを要求しました。
私は、戸田第二代会長の言葉を想い出しました。
「信心は一人前、仕事は三人前」

部長は当初、私に代わって不動産見積料や宣伝広告費の支払を引き受けてくれました。
彼は、終日、私を営業に連れ出してくれ、昼食や夕食もご馳走してくれました。
初めて25,000ドルの手数料を手にした時、彼は私に、その収入を銀行や高利貸しから借りている借金への弁済に充てるようと言いました。
引き続き彼は、私が全ての借金を払い終えるまで、昼食代や夕食代を出してくれたのです。
彼はいつも、絶望の淵にいる私を気に掛けてくれ、励ましてくれました。
それから3年の内に、私は500万円の個人負債を完済し、2年後の2003年6月6日には、破産状態から解放されました。
男子部を卒業したのは、そんなときでした。

数々の困難を経験して、私は婦人部がいかに深い祈りで困難を乗り越えてきたのかを学びました。
1994年から1998年までの間、日に6時間から9時間の題目をあげた結果として、私の題目は1,700万偏に達しました。
私は一日に3時間ほどしか眠りませんでした。
これからの生き方について明確に決めかねていたのですが、聖教新聞の切抜きのコピーから、この指導に出会いました。
「闇が深ければ深いほど、暁は近い」
私は目標と決意を決めなおして更に題目をあげ、大いなる達成感と充実感を感じました。

しかしながら、実際には私の生活環境は好転せず、その後の5年間は、まるでジェットコースターにでも乗っているかのようでした。
不動産市場は引き続き、2009年のSARS(サーズ:重症急性呼吸器症候群)や2008年の国際金融危機、それに鳥インフルエンザの流行などに因り打撃を受けました。

2009年11月に、私の30年間の信心を試されるときがやってきました。
家族が占い師に観てもらった結果、弟や妹が私に信心を辞めるように迫ってきました。
日蓮仏法が本当に正しいなら、私が30年間に亘って苦労したりなんかせず、お金もたくさん溜まっているはずだと言うのです。
私は魔(生命に宿る根本の無明)の働きが、私の生命の中に、信心に対する疑いの気持ちを生じさせる種を植えたのだと恐れました。
この困難な時期、2009年11月から2010年1月までの三ヶ月間、私は200万偏の題目をあげて、自身の迷いを打ち払おうと挑戦しました。
その結果、私は魔に勝利できたことを嬉しく思い、御本尊への信心を貫けたのです。

信心をとおして、弟との確執も好転しました。
私に対する態度も変わり、私の健康状態も気遣ってくれました。
数度に亘って、弟は私を病院に連れて行ってくれ、診察が終わるまで待ってくれていました。
しかも、弟は診察料まで支払ってくれたのです。
その上、自宅のリフォームのデザインを手伝ってくれたり、仏壇の置場所を考慮してくれたり、家財道具を購入する資金まで提供してくれたのです。
弟のお陰で人間革命ができ、性格も変えることができたので、私は彼に感謝せねばなりません。


法華経を信ずる人は・さいわいを万里の外よりあつむべし。
(十字御書 p.1492)


数年間に亘って私は、兄弟姉妹や姪だけでなく、亡き両親とも仏法対話ができました。
私は広宣流布(人類のん平和と幸福)の活動に彼等を巻き込みました。
私は中国語が苦手だったので、機関紙「クリエイティブ・ライフ」の不慣れな中国語の発音を弟に頼みました。
私の二人の姪たちは、私が協議会で話す内容のリハーサルをする時には、聞き手となってくれました。
私たちは、日蓮仏法の偉大な哲学と、偉大な師匠である池田先生に出会えて幸運です。
弟もまた、信心できるようになって欲しいのです。
私のこの取り組みは、ゆっくりと上手くいきました。
時々弟は、池田先生のご指導を私に語ってくれるのです。

仏法では、人生に於ける全ての事に意味があると説きます。
それらの体験をとおして、私たちは価値創造の方向へと生活を向けるのです。
本当の功徳とは、何事もなく日々を過ごせることでしょう。
しかしながら、たとえ顕著な功徳が現れなくても、私は広宣流布のために働き続けます。
池田先生は言われました。
「人類の平和と幸福という偉大な願いに目標を定めれば、あらゆる事が、またあらゆる状況が、私たちの人生に於ける価値となろう。
全てには意味がある。
何もしないのは時間の無駄である。」

私たち自身を発展向上させ、家族や地域社会の中の今いる場所で人間革命するために、私たちは日蓮仏法を信心しています。
私たちは、今まさに価値創造するために活動しているのです。

2011年1月、私は、英連邦支部副支部長から、ユーノス西支部支部長への転任の任命を受けました。
私は支部長としての職責を果たしたく、次の三つのことを決意しました。
第一に、支部内に青年部を創り上げること。
第二に、弟や3人の姉妹、それに2人の姪たちが、いつか日蓮仏法を信心できるよう題目を送り続けること。
そして第三に、2030年の学会創立100周年に向けて、全ての学会活動をやり切る事。

以上。






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Nr.201101020Y0002