励ましを送ることが折伏

冴島歳三

池田先生は、未来部員の「先生は毎日何をしているの?」という質問に答えて言われた。
「私は毎日、人を励ましています。」

私は、折伏とは、その文字が示すとおり、相手の邪義をへし折って、正法に平伏(ひれふ)せさせるものであると思っていた。
しかしながら、何故、相手を折伏するのか?
それは当然に、相手に幸せになってもらいたからに違いない。
その一点を、私は忘れていた。

私の学生時代の友人に、小田君(仮名)がいる。
共に外国語を勉強し、アメリカへも短期留学した同級生でもある。
若い頃の彼は、活発で自信に溢れた人間であった。
何度か折伏を試みるも、そもそも宗教嫌いであり、特に学会に偏見を持っていた。
卒業後は、遠方の田舎に帰省した彼とは会う機会がなく、年に数回電話するのみであった。
しかしながら、何年経っても、彼の学会への偏見は消えなかった。

2011年6月頃、いつもは私から電話するのに、その日は珍しく、彼から電話があった。
以前の彼とは違って、何故かとても元気がなさそうであった。
聞けば、先天性網膜色素変性症(Congenital pigmentary degeneration of retina)の症状が出て、視力に重い障害がでたとのことであった。
遺伝性の病気であるが、運悪く彼にその症状が現れてしまったのである。
介護の仕事をしていた彼は、職場での重篤な事故で、その運動能力に大きな後遺症が残り、失職を余儀なくされた。
その後、派遣の仕事などで食いつないできたのだが、数年来の不景気で仕事も激減、今また視力を失うという事態に陥ったのである。
健常者でも仕事を得るのが難しい昨今である。
都会から離れた田舎に住み、肢体も不自由で、更に目の不自由な彼に、仕事は見つからなかった。
そうして思い余って、私に電話をしてきたのである。
私は、同じく同窓生で、やはり彼を気に掛けていた大国君と共に、小田君を訪問することに決めた。

2011年9月、私と大国君とは、彼に会うために滋賀県に向かった。
目が不自由であるにも拘らず、彼は最寄の駅で私たちを待っていてくれた。
私たちは近くの食堂に入り、昼食を摂りながら懇談した。
もちろん、彼との仏法対話が目的であったが、仏法の話よりも、気がつけば一生懸命に彼を励ましている自分がいた。
私は彼に言った。
「学会員であっても、病気にもなるし事故にも遭う、失業もすれば離婚もする。
一番重要なことは、例え何が起こっても負けないことだよ。
それがこの信心の功徳だ!」
じっと私の話を聞いていた彼は、静かに呟(つぶや)いた。
「俺、信心するよ・・・・」

彼は、地元の会館の住所と電話番号を私たちに尋ねた。
遠方の私たちに負担を掛けまいと、自ら進んで学会の門を叩きたいとの、彼のたっての希望であった。
その日のうちに、彼は地元の会館に電話した。
そうして数日の内に、地元の幹部と面談したのである。

2011年11月13日の日曜日、本部幹部会の同時中継終了後の15時。
創価学会滋賀文化会館で、彼の入会式及び御本尊授与式が挙行された。
司会者に言葉を求められた私は言った。
「創価学会創立100周年への船出となる、この80周年の善き日に彼が入会できたことは何か意味のあることだと思います。
彼は、必ず広布の人材となるべき偉大な人物です。」
最後に、彼は列席者に挨拶をした。
「自分は目が不自由になって、とても寂しかった。
誰も尋ねてこなくなり、誰も電話してこなくなった。
母親は病弱で入退院を繰り返している。
何の希望も無くなった私は、いっそのこと母親と一緒に死のうとさえ本気で思っていた。
でも、そんなときでも、冴島君と大国君は私を気に掛けてくれた。
だから、信心してみようと思った。
こんなに多くの人々が、こんな私のために集まって祝福してくれた.
それがとても嬉しかった。
目が不自由な私ですが、どうかよろしくお願いします。」
すると彼は感極まって泣き出したのである。

私は、そんな彼を見て、人生の悲哀を感ぜずにはいられなかった。
そうして、そのような状況にならないと信心できなかった彼が哀れに感じたのである。
御書に有名な一説がある。


「やまひは仏の御はからひか。 そのゆへは浄名経・涅槃経には病ある人仏なるべきよしとかれて候。 病によりて道心はをこり候なり。」
(妙心尼御前御返事 p.1480)


あんな剛毅な気性であった彼が、弱弱しく泣きながら、多くのメンバーに頭を下げているのでる。
思わず、もらい泣きしそうになったが、同時に私は心の中で強く誓った。
信心を開始したからには、必ず彼には功徳を得て、信心の実証を掴んで、幸せになってもらおうと。

入会式終了後、彼の家に赴き、御本尊安置と晩の勤行をした。
別れ際、彼は私に告げた。
「まさか俺がお前と一緒に題目を唱えるとは思わなかったよ。
それに、学生時代とは違って、お前は余りにも立派な人間になっていたので驚いていたんだよ。」
私は彼に、冗談を交えて答えた。
「お前もこれから一生懸命に信心して、早く俺のような立派な人間になれ!」
地元のメンバーの車で最寄の駅に向かう私を、ずっと彼は手を振って見送ってくれた。

今回の彼への弘教で、私は悟った。
折伏とは、友の幸せを祈り、励ましを送ることなのだと。
そうして、池田先生もそのような人生を送ってこられたのだと。
いずれにせよ、創価学会創立80周年に、先生に折伏の成果をもってお答えできたのが、何よりも嬉しかった。
いや、何よりも今回の彼の折伏は、大国君との共同作業であり、地元の同志の協力なくしては叶わなかったであろう。
これより後も、日蓮大聖人の御遺命どおり広宣流布に邁進し、池田先生のご指導どおりに人々に励ましをおくれるように頑張りたい。

以上。




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