今まで学会の広布の庭で色んな人達に出会い、ご指導頂き大変御世話になっております。
また、思い出深い事も多くありますが、特に思い出深い事が二点有るのでお話しさせていただきます。
まず第一点目は、昭和59年9月30日に阪神甲子園球場で行われた、第四回世界平和文化祭です。
当時私は社会人一年目ということもあり、社会のことを全く知らない未熟な人間であり、仕事ではミスが多かったのですが、そんな私をかばってくれる会社の先輩がいました。
先輩は私が信心の話をしても、抵抗なく聞き入れて下さいました。
また文化祭の練習もたいへん厳しかったですが、最後までやり通し、本番を無事に迎えることができました。 これも諸先輩方の暖かい御指導があったからであります。
そして会社の先輩は、この文化祭の練習期間中に結婚されるのですが、その相手の女性も学会の女子部だったのです。
先輩もまさか自分の結婚相手が学会員だったとは全然知らなかったので、大変驚いたらしいです。
先輩はまだ入会されておりませんが、私は先輩が早く入会される事を希望しております。
次に二点目ですが、この文化祭の練習期間中に仏法対話をした冴島歳三さんのことです。
冴島さんは、私が専門学校にいた時の友人です。
彼は私の話を聞いてから4年後に入信するのですが、彼のお母さんも学会員だったとの話を聞いてびっくりしました。
彼のお母さんはガンでお亡くなりになってますが、医者が余命6ヶ月ですと診断したのを7年ちかく寿命を延ばしたそうです。
その頃、冴島さんは当然信心はしていませんでしたが、彼には妹さんがいて、彼女がお母さんの跡を継いでがんばっていましたが、途中で他の宗教に入ってしまい、冴島さんが入信した頃には、妹さんが冴島さんをその宗教に引っぱるようになっていました。
以前は冴島さんを学会の方に引っぱっていた妹さんの変わり様に、冴島さんは悩んでいました。
そして、妹さんを学会の方に連れ戻したかったのだと思います。
そうして、その兄が妹を思う気持ちが通じ、平成2年の3月に妹さんは学会の方に戻りました。
私は冴島さんの妹さんに会い、その元気の良さに驚きました。
そして、こんな元気な人が学会の側に、自分達の味方になってくれて良かったと思いました。
裏を返せば、敵に回したくはないと思いほっとしました。
以上で私のつたない話を終わらせて頂きます。
ありがとうございました。
大国 修