第九の怒涛

『第九の怒涛』を観て

池田 大作



私は
感動した!
私は
人間の無限の勇気に
胸が高鳴った!

そこには
自然の壮絶さと
人間の強靱な
生きゆくカがあった。

これほどの
生命と自然との
戦いの場面を
象徴した絵画を
見たことはない。

私の胸は
一生涯
この怒濤と戦い
進み抜く
人問の生き様を
忘れることは
できないだろう。

この「第九の怒濤」は
十九世紀の□シアの
大画家である
アイヴァゾフスキーの
作品であることは
誰人も知っているところだ。
一八五〇年
三十二歳の若き日の
揮身の大傑作である。

海洋画の巨匠である彼は
六十年間の画業のなかで
六千点以上の絵画を
残している。
彼は仕事が速かった。
ひとたび絵筆を握ると
全生命を凝結させて
創造に没頭したからだ。

彼は語った。
「いかなる分野であれ
粘り強い努力のみが
勝利を得ることができる。
だからこそ
大切なことは
自分を甘やかさず
気を緩めないことだ」

彼は
弛みなく向上を続けた。
「自分の絵で一番
気に入つている作品は」と
尋ねられて
彼は答えている。

「それは
今日私が描き始めた
未完成の絵です」と。

その業績のなかでも
人々から最も愛される
□シア最高峰の名画が
この「第九の怒濤」である。

そこには
やむにやまれぬ
人問の勇気の
衝動があった。

無数の奇跡を眺めつつ
胸が張り裂けんとしゆく
作者自身の心の
壮絶な戦いを
永遠に留めんと
描いたのであろう。

ある時は
飛び起きて筆を執り
ある時は
狂った如く一心不乱に
筆を走らせたにちがいない。

信念のある彼は
受難も受苦も
必ずや人間は
乗り越えゆく
使命と力を
持っていることを
教えたかったのであった。

彼には
華やかな名声など
眼中になかった。
彼は
高い地位など
何も欲しなかった。

この一作に取り組む
大情熱を
彼は綴っている。

「我を打つなら打て
罵倒するならするがよい。
たとえ牢に繋がれようとも
苫難を誉れとして
勝ち抜いて
必ず完成させてみせる!」

人間の心は
いかなる恐怖にも
負けない!
人間の勇気は
いかなる苦難にも
負けない!

乗り越えゆくのだ
すべてを!
自身の前途の苦難を!
君よ
あなたよ
断じて
乗り越えていってくれ給え!
この潭身のメッセージが
込められていた。

縦ニメートル
横三メートルを超える
大画面いっぱいに
猛り狂う
嵐の大海原が広がる。

逆巻く波問には
難破した船の
折れたマストに掴まる
六人の人間が
揺られている。

暗闇の海に投げ出されて
長い一夜を
越したのであろうか。
力尽きて
今にも
荒れ狂う海中に
沈みゆく人間も見える。
その胸中には
いかなる場面が
去来していたことか。

しかし
その我が友に
自ら大波に揉まれながら
死を覚悟して
手を差し伸べている
神々しき丈夫の姿が見える。

ねじ折れたマストに
乗った一人は
赤い布を掲げて
怒濤のなか
何かを叫んでいる。
その視線の彼方の海面には
何かが浮かんでいる。

人だ!
仲間である!
一人の人間が
木につかまりながら
敢然と嵐の波濤に
挑んでいるのだ!

この人問の勇者こそ
「第九の怒濤」の
真の主役ではないかと
洞察する美学者もいる。

耳を澄ませば
吹きすさぶ
大風と大波の音に
かき消されながらも
わが友へ送り続ける
命の限りの絶叫が
聞こえてくる。

そこに再び
二十メートルもあろうか
巨大な「第九の怒濤」が
白い荒波のしぷきを
天高く吹き上げながら
迫り来る。

厳しく容赦なく
大波は更に大波に!
激しく容赦なく
怒濤は襲いかかる。

「第九の怒濤」とは
最も強大で
最も峻厳とされる
波浪のことである。

古来
船乗りの間には
嵐の波に周期があり
九番目に押し寄せる
大波こそ
最も恐ろしいとする
言い伝えもあった。

けれども
だからこそ
この最大の試練を
耐え抜き
乗り切ったならば
大いなる活路が
決然として
開かれゆくのだ。

そして
まさに今が
奮迅の力を振り絞って
怒濤を乗り越えてゆく
その瞬問なのだ。

自然と人間を謳った
□シアの同時代の大詩人
バラトゥインスキーは
宣言した。

「さあ大海原よ
今こそ我は汝の嵐を求めん。
荒れるがいい
巌に叩きつけるがいい。
汝の恐ろしく激しい
雄叫びに
わが心は高鳴る。
待ちに待った
戦いの合図の如く
そして
巨大な敵の憎悪の如く
わが心を歓喜させる」

なんと壮大な
無限の勇気ある言葉か!
私の生命も
この言葉に
深く強く戦(おのの)いた。

「波浪は障害にあうことに
その頑固の度を増す」
私の青年時代からの
モットーである。

嵐に勝利できるのは
臆さず恐れず
闘争を喜びとして
勇敢に戦い抜いた
英雄のみである。

自分は死んでもよい。
しかし
生きるのだ!
生き抜くのだ!

いよいよ最期か。
いや
生き抜くのだ!
泳ぎ切るのだ!

大波は観念しろと
怒り狂うが
この迫害に
私は断じて降参せぬ!

ここで
泳ぎ切らなかったならば
一生涯
屈辱の波が
自身の中に渦巻くからだ。

荒波は高くなる。
無限に高くなる。
この波浪を乗り越え
勝ちゆけば
私は
誰にも認められなくとも
自分で目分を讃えゆく
人生の大英雄と輝くのだ。

目撃者は
一人もいない。
証言する人も
一人もいない。
いや
卑しき人間たちは
「彼奴(あいつ)の名誉は嘘である」と
言うかもしれない。
必ずや
破廉恥極まる
中傷の嵐を
投げかけるに違いない。

そして
勝利と正義を
捩(ね)じ曲げ
名誉の人生に
妬みを抱き
不評判の非難の限りを
尽くすであろう。

悪□が何だ!
断じて
落ちぶれるな!
私の幸福は
この生命の中に
打ち立ててみせる!

ただ一人
決闘に勝利して
栄冠を勝ち得た
永久の歴史を
汝自身が残すのだ。

法華経には
妙法の力用を譬えて
「巨海に漂流して
竜魚諸鬼(りゅうごしょき)の難あらんに・・・・・
波浪も
没すること能(あた)わじ」と
説かれている。

正法正義に徹しゆく
使命の人間には
いかなる大波浪にも
断じて屈服しない力が
厳然と湧き出ずるのだ。

「開目抄」には
悪世末法にあって
難の襲い来る様相を
「波に波をたたみ」と
仰せである。

その波を
一つまた一つ
断固として
堂々と勝ち越えてこそ
広宣流布なのだ。

ロシアの大文豪
ドストエフスキーは
「第九の怒濤」を讃嘆した。

「この嵐の絵には
歓喜がある。
まさに
襲いかからんとする嵐には
見る人の心を激しく
揺さぶる永遠の美がある」

見給え!
無数の苦難と戦い
疲れ果てた人々の
彼方には
人生の希望が満々とした
旭日が輝き昇り
大天空を
照らし光らせている。

彼は
死の寸前の
大いなる
激しき受難の波から
最後の抜手を切った。

激動の彼方に
希望の太陽が
煌々と更に昇る。

熱い嬉し涙が込み上げる。
そして
悲しみを繋ぎ合わせた
怒濤を
貧り見つめる彼の目に
豊かな
永遠に変わらぬ
緑の陸が見えた。

彼を侮辱してきた
苫難の波は
彼の努力の勝利に
少しずつ静かになった。

彼は勝った!
勝ったのだ!
若き彼の胸に
栄光の太陽が昇った。

彼は逃げなかった。
怒り狂った波浪を
見境なく
乗り越えたのだ!

凄まじい波に彼は勝った。
巨大な荒波に彼は勝った。
激しい怒濤に彼は勝った。
気高く勝った。
忍耐と努力で勝ったのだ!

眺め終わって
妻は
私の顔を静かに見た。
「あなたの人生と
同じですね」

「荒れ狂う
怒濤に向かいて
弛まぬは
日の本 救う
若人なりけり」
十九歳のときの
わが詩である。

誰人たりとも
人間は!
人間は必ず!
その人問の勇気には
希望と平和の朝が
待っているのだ!

君よ
再び決心して立ち上がれ!
そこには必ず
光の合図の勝利の太陽が
待っているからだ!

二〇〇三年十一月五日
世界桂冠詩人



東京富士美術館で開幕した「第九の怒濤展」を、同館の創立者池田名誉会長夫妻が鑑賞。
(平成十五年十月三十一日)
この長編詩は、同年十一月七日付の聖教新聞紙上にて発表されました。




(補足)

神戸新聞掲載(1月25日付)

『第九の怒涛展』に寄せて

東京富士美術館創立者 池田大作

「私を打つならば打て。ののしるならば、ののしれ。例え牢につながれようと、目や耳をふさがれようとも、私は『第九の怒涛』を描き上げて見せる!」
画家アイヴァゾフスキーは、この一作にかける意気込みを、こう綴った。
これは、目で見る叙事詩である。
生死をかけて運命と戦う人間の崇高さが描かれている。
あの大震災との闘いと重ね合わせてご覧になる方もいらっしゃると思う。
嵐の一夜に、もまれ続けて、疲れ果て、ぼろぼろになった人たち。
「なぜだ!なぜ我々だけが、こんな運命に見舞われたのだ!」
あまりにも多くの死があった。
命のはかなさを見た。
同時に、命の底知れぬ力も知った。
生き残った彼らの頭上に、さらに巨大な波が襲いかかろうとしている。
これでもか、これでもかと、打ち寄せる試練よ!
しかし彼らは屈服しない。
最後まで戦うのだ。
それが人間の栄光だ。
生きるのだ。
生き抜くのだ。
助からなかった友の分まで生きて見せるぞ! 見守ってくれ!
折れたマストの上で、振られる紅い布。その紅は生きる希望の炎か、人間の絆の赤心か。
布が振られる向こうには、かすかに人間が見える。
木につかまりながら、敢然と大波へ向かっている。
自分がどうなるかわからぬ極限状態にあって、なお友を助けようとする人々。
励まし合いながら、怒涛の向こうの「夜明け」を見つめる人々。
この絵は、勇気の讃歌である。
精神の勝利への熱願である。
「陽はまた登る」と告げている。
「あきらめるな!」と叫んでいる。
"乗り越えていってくれ、すべてを! 乗り越えられるのだ、勇気で!"
画家の渾身の祈りが聞こえてくる。
「海の画家」として有名である。
しかし、海を前にして描いたのではない。
観察をもとに、目と心に焼きつけた海を描いた。
彼は海を描くことで、わが心の真実を描いた。
海の千変万化を描くことによって、心の無限を描いたのである。
こうして「海の詩人」の心は大海となっていった。
ヒューマニストの彼は庶民を愛し、自由を求める他国の民衆をも支援していた。
しばしば権力のむごさ・冷たさに激怒し「人の命を何だと思っているのか!」そう叫びたい場面もあったようである。
「第九の怒涛」にも、そんな彼の魂の轟音が鳴り響き、しぶきをあげている。
彼の情熱と人間愛に火をつけたものは何か。
励ましであった。
若き苦闘の日に、大詩人プーシキンから温かな声をかけられたことが、生涯の宝となった。
神戸新聞のシリーズ「豊かさ漂流」で、児童自立支援施設のベテラン寮長の信条が取り上げられていた。
私は心を打たれた。
「私たち大人が子どもにできることは、懸命にかかわってやること」―――。
時代の荒波に漂う青少年の魂に、私たちは、この絵のごとく、「君よ、再び決心して立ち上がれ!」と、希望の光の合図を送りたい。
アイヴァゾフスキーは大詩人の激励を胸に、驚異的な画業を重ねた。
それでも、「世界に出した六千点の作品の中に満足できるものは、まだない。
だから私は描き続ける」と言い切った。
「一番気に入っている作品は」と聞かれると、「きょう描き始めた未完成の絵です」と応えた。
八十二歳で亡くなった時も、アトリエには、その日に取りかかったばかりの絵が残されていた。
最後の最後まで、今の自分を乗り越えようと、怒涛に立ち向かっていたのである。
ホイットマンは魂魄をこめた詩集『草の葉』について「友よ、これに触れるものは『人間』に触れるのだ」と言った。
「第九の怒涛」についても、私は信じている。「この絵に触れる人は、人生の真髄に触れるのだ」と。




「第九の怒涛」に描かれているもの
第九の怒涛に描かれているもの

①・・・第九の怒濤。
「3大8小」と呼ばれる波の周期のうち、9番目の波は最も強大で危険な波とされ、この波を乗り越えると、必ず天の助けがあると言い伝えられていることに由来しています。
②・・・第九の怒濤に向かって、木につかまりながらも必死に挑んでいる人が描かれています。
③・・・6人の漂流者たち。
そのうちの1人は、赤い夕一バンの布を振りかざして、7人目の英雄である②の人物にむかって、励ましの合図を送っています。
ある人は上半身が海に沈んでいる人を助け起こそうとしていますが、これは苦難の中で人々を救おうとするヒューマニズム(人問愛)を表しています。
また、これらの船乗りたちは、ロマン主義の特徴であるオリエンタリズム(東方趣昧)の影響で、東方世界の人々(アラビア人やトルコ人)として描かれています。
④・・・舟のマスト。
難破船の船体の一部が、生命を支える筏となって描かれています。
マストの先端に書かれた文字は、アイヴァゾフスキーの署名です。
⑤・・・よく見ると、ここにも沈んだ船体の一部が描かれています。
⑥・・・朝の太陽。
怒濤を乗り越えようと、夜の嵐に耐えて迎えた朝の太陽の輝きは、この絵の中で希望の未来を示す象徴として描かれています。
⑦・・・海は特定の場所ではなく、想像上の架空の海です。



★創価完勝の年。
今、世界に、日本に、そして個々の会員の上にも大きな宿業の嵐が襲い掛かってきています。
しかしながら、それは当然であるかもしれない。
闘いなくして完勝などあり得ないからです。
闘って、勝ってこそ完勝です。
そうした宿業と闘うであろう多くの友の為に、またそれを予想して、先生はあえてこの時期にこの第九の怒涛展を開いて下さったのです。
実際に、多くの友が第九の怒涛展を鑑賞して勇気をもらい、その難に打ち勝っているとの声が澎湃として湧き上がっています。
闘って、完勝して、一千万を達成して、来年のナポレオン展の会場にて、
「そうだ! 私は去年、英雄ごとく一歩も退かずに闘ったのだ!」と胸を張れる年としましょう♪




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