私の闘い(途中経過)



7月10日。

末期の食道癌で入院していた伯母の体から「ガン細胞が消えた」と従姉から聞いたときは、ゾクゾクッと鳥肌が立つほど驚き、飛び上がるほどに喜びました。

・・・が、落ち着いた今「これからが、本当の勝負だ!」との決意でおりますので、(後日談を交えて)途中経過のご報告ということで書かせていただきます。


伯母が喉に異変を感じたのは、おととし(H7)の春のことでした。

以前から病院には通っていたものの、『花粉症』と診断され治療を受けていましたが、食べ物が次第に喉を通らなくなり、自ら頼み検査をしてもらったところ、ポリープが見つかりました。

2㎝以下は良性といわれ、地元の病院に通院してましたが同年8月にポリープが4㎝大になり、自宅から車で2時間半かかる大学病院に転院し、入院しました。

伯母は、私の亡くなった母の姉です。

ある日突然「喉にできたポリ-プの手術しないとならないから、その時は付き添い頼むね」と、伯母から電話がありまして、あわててお見舞いに駆けつけると「ぷぅーぴぃー」とラッパを吹いてるじゃありませんか・・・

この病院は、母が亡くなった病院でして、院内に足を踏み入れたときは複雑な思いがあったのですが・・・ぶっ飛んじゃいました!

「あはは~何それ」と大爆笑。

(術後のため肺を強くするための訓練でした)

これなら大丈夫などと軽く考え帰ったのですが、数日後「手術しないで、放射線治療をすることになったから」と言われ・・・もしや癌では?とも思ったのですが、良性でもその治療法をすると聴き簡単に納得した私でした。


その頃の従姉は悩み苦しんだ時期だったと思います。

医師から『食道癌』の宣告はされる。

場所が真ん中なため手術するなら声帯もとらなければならない、どの治療法をとるか等々決断の時だったのですから・・・・

本当の病名は本人には内緒にすると決めたらしく、私達もつい最近まで知りませんでした。

この時は半年間入院し、ガン細胞は全て焼き尽くしての退院だったそうです。


翌年(H8)6月、再発で同大学病院に再入院(半年間)。

コバルト療法を「これ以上は出来ない」という限界までやったらしいのですが、残念ながらガン細胞を全滅させることが出来ないまま退院。

今年(H9)3月~左肩から首にかけて痛みが走るようになり、夜も眠れないほどの激痛となる。

大学病院で検査を受け、その結果が出るというときに・・・「おばちゃーん、会わない?」と、電話したのが私だったのです。

この頃私は、姉からは「おばちゃんが急に老けちゃった」と電話をもらい。

兄からは「おばちゃん癌かもしれない」と聴かされ・・・よし、折伏に行くか~で、伯母に電話・・・なんというタイミングだったんでしょうか!

「5月6日に病院に行くから、その時に会おうね」と言われ、ニヤリの私でしたが・・・

実は伯母の方がニヤリなのでした。

さていよいよ明日だ!などと意気込んでいた5月5日夜、従姉から電話が来まして・・・

伯母が私と会いたがったのは、一緒に病院に行き医師から本当の病名を聴いてもらうためだといわれ、何がなんだか・・・分からない状態。

「癌かもしれない」が、「癌だ 」となり、それだけでもショックだったのに、おまけの『告知問題』まで背負い込み・・・もぅボロボロでした。

従姉は「絶対に言わないでくれ・・・方法はまかせる」

兄に相談すると「うまく逃げろ・・・まかせた」

夫は「明日会ってから決めなさい、話すときはそれなりの責任負う覚悟しなさいね」で、先に寝ちゃうし・・・

夜中で誰かに電話するわけにもいかず、ご本尊様の前に座り唱題しても心が他に行ってる。

「どうする、どうする、どうするーーー!(叫び)」と部屋をうろうろし、また唱題の繰り返しでした。


我が家の仏壇には『開目抄』の一節が置いてありまして・・・母の時に切り抜き台紙に貼ったモノなんですが・・・・

「我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、天の加護なき事を疑はざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ、我が弟子に朝夕教えしかども・疑いを・をこして皆すてけんつたなきもののならひは約束せしことを・まことの時はわするるなるべし」

黄ばんだ切り抜きを手に取り「またかよ・・・」癌という病気&それに負けている自分が情けないやら、「私になんかに、まかすな」の怒りと、「誰もたすけてくれない」の孤独感やらで、どん底もいいところでした。

午前2時に「起きてるわけないよな」と思いつつも、パソコンの電源入れSOSのメール出したところ、即お返事来て「えええっ?」なんか訳わかんないメール出していたとおもいますが、激励してもらいまして・・・

その中の1通でぱっと変われちゃいました!

「何故伯母は私を選んだのか?どうしたらよいか?わからないー」のお返事で・・・これです。


「わからんか!? 私は、今!分った!!

伯母が選んだのではない!

大聖人様が、大御本尊様が君を選んだのだ!

仏の使いとして君を選んだのだ!

大聖人様が伯母を通じて君が折伏せよと仰せなのだ!

でないと、伯母が可哀相である。

癌がどの程度まで進んでいるかは知らぬが、妙法で治らぬ病はない!

うちの母も最終的には癌を克服して人生をまっとうしたのだ。

がんばれ!

何事にも意味があるのだ!」


もぅー泣いた泣いた・・・

(この時の諸天善人S氏はいずこに行かれたのでしょうか?)

「そうか、大聖人様がご本尊様がわたしを選んだのかーーーよしっ!」と、腹が決まりました。

また、インターネットで、HPで、メールで「元気も勇気もあげられるんだ」と確信しました!

腹が決まったら、祈って動くしかありません!

朝まで唱題し伯母の元へ元気に向かうと、伯母の巧みな手口で医師の前に連れて行かれ、病気の説明を受けちゃいました。リンパ腺に癌が転移しているとのこと(従姉談ーーー体中癌だらけだった)。

「ベッドが空いてるから、このまま入院するよう説得してください」と医師に言われ、即、入院。

(どうやら、伯母は入院したら二度と退院する事はないと思い、逃げていたらしい)

後日談で私も驚いたのですが・・・叔母はこの時立ち聞きしていて、自分の病名を知ったそうです。

(ごめんなさい)

病室では元気のない叔母を励ますので精一杯でした!

(信心の話より、冗談ばかり言っていたような気がします)

何日か滞在し、信心の話をしても"柳に風"でして(ダメか・・・心に入れない)。

肩を落とし、さて仙台に帰るかの時に叔母が「祈ってちょうだい」(えっ?)

「おおっ~大丈夫まかせといて、絶対退院させるから!そうしたら、温泉旅行にでも招待してね」と、胸にふつふつと炎燃やして帰宅しました。

それからの毎日は、もぅ~目が回る出来事ばかりでした!

とにかく流れに乗ってやってみよう、全ての行動が伯母に通じると、がんばりました!

みなさんに助けられながら・・・ありがとうございます!

やりすぎて、迷惑もかけたりしましたが・・・(HPの書いてあるので、勘弁してください・・・ダメの時は後日書き入れますので m(。、)m )

そして、7月9日「癌が消えました」(検査結果が出て伯母が聞いたのはこの日なんです~先生からメッセージをいただいた1ヶ月後でした)

さて、書くぞ!と、パソコンの前に座ったのですが「あれっ?」伯母の病気の経緯も分からなければ、わたし・・・何かやっただろうか?

特別なこと何もしていないのでは???状態になり、今日まで延び延びになりました。

ごめんなさい。

「腹決めて、祈って、打ち出しに乗っただけでした。先生とみなさんの力で、ご本尊様に前渡しでいただいたんだな」が、今の私の正直な気持ちです。


入院時は死を覚悟していたという伯母 ですが、7月11日に元気に退院できました。

13日からは一緒に東京に行き、本部に直行「なにされるのか?」と、とても不安だったらしいですが一緒に報告し、一緒に唱題して来ました!

「入院中、夜中に南無妙法蓮華経と言ってたんだよ」と聞き、涙が出るほどうれしかったです!が、全てはこれから・・・!

大歓喜の体験発表も大泣きも、伯母が入会決めたときのためにとっておきます。

共々に励まし合って「勝ちます!」弱気が出たときには、激励をよろしくお願いします!

先生。みなさん本当にありがとうございました!


以上。途中経過の報告終了


(K厚子)




*登場する人物名は架空のもので実在のものとは一切関係ありません。



戻るのじゃ!



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