シンガポール創価学会(SSA)壮年部体験談集「突破」シリーズ9

信心で全ての障害に打ち勝つ

ナンファ支部
マイケル・トゥ・チンリン副支部長


「人間革命は難しいものではありません。
私たちは先ず自らの短所に気づき、勇気を以って題目をあげ、人間革命をするべきなのです。」



「人生に於いては、時には病に直面することもある。
大切なことは、妙法への深い信心を基盤とした、生命の境涯を開く体験として、その病に立ち向かうことだ。
それは、病に直面した者にしか分からない、深い幸福感と、永遠の生命という次元で健康の喜びを享受することが可能なのである。
仏道修行の目的もそこにある。
信心をとおして、例えどのような状況にあっても、最終的には最も良い方向へと向かうのである。
皆様のご健康を祈念いたします。」
(SGI会長 池田大作)


私は8人兄弟の貧しい家庭で育ち、父は生活費を稼ぐために絶えず困窮していました。
両親の苦労を見て育った私は、一生懸命に勉強して出世し、貧乏から抜け出さねばと決意したのでした。

兵役終了後、私は無職でした。
満足のいく仕事を見つけられず、人生の意味を図りかねていました。
挫折感に苛(さいな)まれていた私は、熟慮することなく儲け話に飛び乗ってしまったのでした。

不運にも、数年間に亘る努力は無駄に終わりました。
私の未経験が崇(たた)り、事業は資金繰りの悪化に陥ってしまったのです。
やがて、仕事にも行き詰まり、事業の継続は困難となってしまいました。
借入金の返済も不能となってしまったので、債権者は私を訴えてきました。

友人や親戚に資金的な援助を頼みましたが、彼等は徐々に私を避けるようになっていきました。
資金が底を衝(つ)いたとき、後は神頼みしかありませんでした。
私は迷信を信じるようになり、霊験あらたかな霊能力者を探し求めました。
除霊や祈祷、その他姓名判断など、ありとあらゆる宗教をやってみました。
しかしながら、何の解決にもなりませんでした。

7年間もの間、色々な事業に手を出しましたが、全て失敗しました。
その結果は、凄(すさ)まじい程の経済苦が私を待っていました。
借金は雪だるま式に増えて天文学的な金額に膨らみ、もはや私にはどうすることもできなくなりました。
債権者のしつこい取立てに悩まされ、善後策を考えるためにも、私は妹の家に身を潜めました。

先に日蓮仏法を信心していた妹のアリスは、私への折伏を試みました。
若く傲慢であった私は、その時は入信しませんでした。

しかし、心の奥深くでは、挫折感と失望感を味わっていたのです。
婚約者のアイビーとは、些細なことや人間関係などで、よく喧嘩をしました。
彼女は、南無妙法蓮華経を唱えることで宿命転換できるんだと勧める私の妹に助けを求めたのです。
彼女は妹の言葉を信じ、私が信心できるように、真剣に題目をあげてくれたのでした。

婚約者のアイビーや妹には感謝せねばなりません。
彼女たちの題目の力は、一年内に実証を示しました。
妹宅でのある日のこと、私は聖教タイムズ(現リビング・ブディズム)に掲載されていた仏法の教義である「五重の相対」に興味を持ったのです。
そこには、仏性とは仏智であり、また本来持っている生命力でもあり、幸福へと導くものであると説かれていました。
私はこれまでに、自分以外のものに救いを求めていたのだと分かったのです。
自分の内面に備わっている力など、知る由もありませんでした。
私は、感動の余り言葉を失いました、



五重の相対(ごじゅうのそうたい)
内外(ないげ)相対、大小相対、権実(ごんじつ)相対、本迹(ほんじゃく)相対、種脱(しゅだつ)相対をいう。
宗教批判の原理の一つ。


朝、少しだけ題目をあげ始めました。
題目をあげていると、身体の内側から、強いエネルギーと自信のようなものが湧き上がってくる感じを受けました。
それは1979年のことでした。

苦難に打ち勝つための実力を身に付けるため、私は真剣に信心に励みました。
仕事を見つけて新たな人生のスタートを切れるように、真剣に祈ったのです。
六ヶ月間、真剣に祈りながら、企業に履歴書を送り続けましたが、私を採用してくれる所はありませんでした。
私の周りの人々は、私が信心に疑念を抱くのではないかと案じていました。
彼等の心配をよそに、私は信心を続けたのです。

ある日、友人が全く経験のない営業幹部の仕事を私に紹介してくれました。
その外資系貿易会社は、産業用機器を扱うベンチャー企業であり、私は単独でビジネスを展開するよう命じられました。
私の基本給は、交通費15,000円と僅か27,000円だけでした。
私は、かつては数千ドルを動かしていた事業家であったのだという自尊心をへし折るためにも、与えられたその仕事に一生懸命取り組みました。
それは、私にとってはほろ苦い体験でした。

それでも、自分の後ろ向きな性格に打ち勝つため、題目で人間革命に挑戦したのでした。
やがて、自分の宿業と向かい合い、それに立ち向かっていく智慧と勇気が生まれてきました。
この自分自身の変化によって、現在の状況は全て、自分の過去の宿業が原因であると悟ったのでした。
私は仕事に熱心に取り組み、事業から充分な収益を計上し、会社の期待に応えました。
2年間で、私は全ての借金を返済し、婚約者のアイビーと結婚することができました。
数年後、私は部長に昇進しました。

この信心の功徳を目の当たりにすると、受身の信心する理由は見当たりませんでした。
私は男子部のリーダーとして、広布の最前線で闘い、全てのシンガポール創価学会の行事に参加しました。

1989年、日本の世界的なブランド企業から、販売部長に就任しないかとの申し出を受けました。
私にとっては全く経験のない職務だったのですが、信心根本にやり抜こうとの確信を持ちました。
7年後、会社の業績は拡大し、私は多くのボーナスや褒賞を得ることができました。
題目の力であることは疑いありません。
1996年、充分な事業経験と財力を身に付け、再度、私は投資事業に乗り出すために退職しました。
私は、株式に投棄し、海外の不動産を購入、そうして新事業をスタートさせました。
しかし、辛うじて事業が開始したのに、1997年、株式市場が暴落してしまったのです。
私は大打撃を受け、重大な損失を蒙ってしまいました。

悪いことは続くもので、苦難はそれだけではありませんでした。
経済的な損失からの回復に躍起になっている最中、義理の父が急死してしまったのです。
それだけではありません。
それから100日以内に、愛する母が亡くなり、母の喪に服する間もなく、引き続き父までもが亡くなってしまったのです。
私は、悲しみに打ち震えました。
妻と私は、大きな心の痛みに耐えねばなりませんでした。
その上、私たちの預貯金も使い果たし、車を担保にお金を借りねばなりませんでした。
まさに最悪の状態でしたが、私たちは負けませんでした。
私たちは、信心で得た仏智と仏力を保持しており、断じてこの苦難を克服しようと誓い合っていました。
私は、妻が不平や不満を一切口にせずに、私に付き従ってくれたことに感謝しています。
妻との喧嘩や諍(いさか)いは過去のものとなり、今は二人で何でも協力しあっています。
経済苦と愛別離苦(愛する者との離散や死別)に続く、私の人生劇場のグランドフィナーレ(最終章)として、最後にやって来たのは、私自身の水疱瘡に因る急性の発作であり、それは人生の終焉のようでした。

高熱と体中にできた水ぶくれが、私を苛(さいな)みました。
ウイルスが呼吸器官と消化器官に悪影響を及ぼし、呼吸することや食べることさえ困難となりました。

症状は日増しに悪化していきました。
ある朝、歯を磨こうとした時のことです。
歯磨き粉を搾(しぼ)り出す、僅かな力さえ出なかったのです。
そのような簡単な運動能力さえも失ってしまったのでした。
仕方なく、両手を使って悪戦苦闘しつつ歯を磨いたのでした。
その時、ウイルスが私の脳の運動中枢を侵していたのです。

水ぶくれの痛みのため、私は眠ることさえできませんでした。
私は、通気の良いゴザをベッド代わりにし、リビングルームの床で横になって寝ました。
今でも鮮明に覚えているのは、夜、題目をあげるために、御本尊様の前に腹ばいになって這って行ったことです。
そんな最悪な状況でしたが、この信心に疑いを持つなどということはありませんでした。
むしろ、朦朧とした意識と息も絶え絶えな中でも、苦しみに耐え涙を流しながら、例え少しでも題目をあげようと頑張ったのでした。

私は、この病は決して偶然ではなく、必ず深い意味があるのだと思っていました。
私は、大聖人様のお教えに従い、この病に耐えました。
そうして、私は自己の悲哀を制し、無疑曰信(むぎわっしん)の信心を続けたのです。
私は宿命転換のためにも、勇気をもって、この苦難に立ち向かって行かねばと考えました。
人前に出られるようになるまで回復するのに、約半年も掛かりました。
医師は、通常このような病気は致命的なものであり、生還できた私は非常にラッキーであると言いました。


「設ひ・いかなる・わづらはしき事ありとも夢になして只法華経の事のみさはぐらせ給うべし。」
(兄弟抄 p.1088)


御書には、「冬は必ず春となる」と説かれています。
確かに、長く辛い冬の後に春がやって来ました。
仕事仲間が私の状況を慮(おもんばか)り、中国市場開拓担当者を探している実業界の大物を紹介してくれたのです。
子供がまだ小さく、長期間、家族と離れて暮らしたくはなかったので、給与などの待遇面は申し分なかったのですが、中国に赴任するその仕事の申出を受諾することを躊躇しました。
それに加え、私の中国語はビジネスレベルではなく、一から勉強せねばならなかったのです。
あれやこれやと思案しましたが、前からやりたかった仕事でもあるのでワクワクしました。
妻は、月に一度は帰国して家に戻れるという、私の勤務条件をたいそう喜んでいました。

2000年初頭、私は社長に抜擢(ばってき)されました。
中国広西工場での7年簡に及ぶ奮闘努力の末、会社は上海本部を含む中国全土に20箇所以上の支店からなる販売網を構築するに至りました。

会社からの信頼に加え、他の素晴らしい功徳も現れました。
以前の経済苦の原因ともなった、価値の下がった保有株式が、息を吹き返して価値が上がり、利益を生み出すようになったのです。
今では、私たち夫婦は資産を保有し、借金や心配事もなく、以前とは想像もつかないような、より良い人生を歩んでいます。

人は、苦難に陥ったときには、自分以外の何者かに救いを求めるべきではないと教えられました。
私たちは、不動の信心と勇気を根本として、獅子奮迅の力を取り出さねばならないのです。

人間革命は、どこか遠くにあるものではありません。
私たちは、私たちの宿業と向かい合い、勇気を取り出して、題目で人間革命しようと決意してゆかねばなりません。

例え苦難の渦中にあっても、広布の活動を疎(おろそ)かにすべきではありません。
むしろ、その苦難を糧(かて)として、宿命転換して功徳を得るための舞台と捉(とら)えるべきでしょう。

我が人生を広宣流布に捧げるため、心に深く刻んだ池田先生のご指導があります。

「魂とは、生命の内なる状態、もしくは心そのものを指す。
それは、私たちが私たちの生命を何に向けるのかということによって決定づけられる。
また、それは私たちの存在そのものを意義付ける根本的な祈りでもある。
人の魂は眼には見えないが、それはいざというときに行動となって現れる。
それ以外にも、日々、瞬間瞬間の人の行動を意味づけるのである。
それは、根本的な生命の決定要素である。」


おわり。





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