KANSAI新大阪圏Sさんの「私の信仰動機」
勤行は足が痛い!

[入信の動機]

 ご他聞に漏れず、私も入信には時間がかかりました。

もちろん数回話を聞いて「分かりました、ほなやりまひょか!」という人なんかいないでしょう。

私が入信するにあたって一番の障害になったのは、いわゆるマスコミの学会関連記事でした。 今も昔も週刊P誌や同じく週刊S誌などで、池田先生や学会について様々な中傷記事が描かれており、入信当時の私はその内容について「全くのデタラメではないやろう、火のないところに煙はたたんというからなあ・・・」という認識でいました。

それに何よりも池田先生があまり好きではなかったのです。

というのも、週刊誌等に載っている先生の顔はその記事の関係もあって、何故か悪人顔(先生、申し訳ありません!)に見え、「こんなオッサンのおる教団なんかいやや!」と思っていたからです。

しかしながら、信心を続けていく内に先生の書物を読んだり、会合等で先生のスピーチを聞いたりするうちに、自分自身たいへん啓蒙されることがあり、「池田先生がどんな人間か会ったこともないので分からんけど、言っておられることは間違いなさそうやから、素直に聞いておこう!」と思うようになりました。

そうして、益々信心を続けてゆく中で池田先生や学会について理解が深まり、中でも先生の行動を聞き及ぶにつれ、「思想がおかしかったり、腹の中が黒い人物にあんなことはできんやろ。 先生はすごい人だ!」と確信を持つようになりました。

 ところで、入信当初(昭和59年)の私は金融関係の大手企業に勤務していました。 バブル華やかなりし頃、金融・保険・不動産といった業界は花形産業でした。 私自身、当然に生活も派手になり、借金も増え、次第にチョー乱れたものとなってしまいました。

「このままではあかん!」と心の中では思っていても、悲しいかな身体は日々の享楽にまかせる状態となっていったのでした。

そのような最中、藁にもすがる思いで、以前に友人から聴いた学会の話を思い出し、思い切ってその友人に連絡をして「もう一度、話を聞かせてくれへんか!?」と伝えたのです。

その時友人は、風をこじらせて病床にありましたが、すぐに起きあがって家に飛んできてくれ、数日後、座談会なるものに参加させて頂いたのです。

そのおりは、私は話をもう一度聞きたかっただけで、まだ入信しようなどという決心はできていなかったのですが、そこは自慢ではないですが優柔不断な私の性格、川の流れに身を任せるがごとく、気がついたら手を合わせて拝んでいたというわけです。



[入信後の生活]

 現在は、信心の方も誠に申し訳ないことながら、少し(いや、多いに)手を抜いている状況で反省しておりますが、入信当初は必死で活動していました。

でも、壺を売りに歩いたり、合同結婚式に参加したりするのは、学会ではありません。 ましてや断食をしたり、熱湯を浴びたり、滝にうたれたり、真言を唱えたり、護摩を焚いたり、比叡山の山中を駆けめぐったり、サリンを撒いたり、土地を売って寄進したりというのもありません。

実際には自行化他(じぎょうけた)といって、毎朝毎晩の勤行唱題と折伏、それに会合参加がメインな活動でした。

よく信心し入会したら、生活が縛られるんじゃないかと言う人がいますが、そんなことは一切ありません。

信仰というものは、強制されてできるものじゃないし、できるものでもないです。 私や友人は、信心をしつつも風俗遊びもしましたし、レンタルビデオ店でHなビデオを借りたり、焼肉屋へもよく行きました。

それとこれとでは話が違いますが、誠の信心とは、いたずらに己を制約し縛り付けるものでは絶対にありません。



[入信後、困ったこと]

 今でも困っていますが、勤行のとき正座をするので足が痺れて痛いということです。 入信した地区の婦人部長は「ブハッハッハッハッ、これが仏道修行じゃ!」と言っていましたが、私は心の中で「こんなん拷問やんけ!」と叫んでおりました。 よく会合などで、多くの会員の方と一緒になって勤行するときは、本来は正面仏壇の御本尊様に向かって祈るべきところ、ついつい「早く鈴を鳴らせて勤行を終わらせんかい! ワシは足が痛いんじゃ!」とばかりに、皆の最前列の導師の方の後頭部に向かって祈っている自分を発見します。

そして予想に反して早く勤行が終了した時は、「おおっ! 祈りがかなった!!」と嬉しくなってしまいます。

 もう一つ困ったことがあります。

時々友人と勤行するのですが、その時に限って勤行の最中に昔のおかしかったことなどが思い出され、ゲラゲラと吹き出して笑い転げてしまうということです。

「これはいかん! 御本尊様に失礼じゃないか!」と思いはするのですが、笑いをこらえようとすると更におかしくなり、足の痛いのを我慢する以上に、笑いをこらえるのが仏道修行とちがうのかと思ってしまう今日このごろです。

そのうち御本尊様に「何を笑っておるのじゃ!」と、叱られてしまいそうです。



[入信後一番の思い出と現在]

 私たち凡夫といのは哀れなもので、何か悩み事があったり困ったことがおこると、それこそ溺れる者藁をもつかむではありませんが、必死になって祈り活動します。

そうして願い事が成就すると、その時は「御本尊様、ありがとうございました!」と感謝するのですが、時がたつにつれその感謝の念も薄れ、「あれは俺の実力で解決したんや、俺はもともと悪運が強いんや!」というおごりの気持ちが現れてきます。

喉元すぎれば熱さ忘るるとは、よく言ったものです。

実際にそのような状況で、組織を離れていったメンバーや退転(信心を辞める)していった人々もいます。

私自身、この信心を辞めるつもりは毛頭なかったですが、入信当初の大きな悩み事も何時のまにやら解決し、その後は何か困ったことや願い事ができたらまた必死になって活動し、そしてそれが解決したらまた眠る(活動を休止)の繰り返しでした。

よく川の水が流れるような絶え間ない信心をせよと指導されますが、私の場合は例えるなら休火山のような、爆発したり休んだり、そして次はいつ爆発するか分からんといった信心を続けてきました。

まだまだ境涯(ステージ)が低いなと反省もしますが、それはそれで私なりに、どんなことがあっても祈って活動すれば何事も解決するんやといった確信は持たせて頂きました。

 今までの活動で一番思い出に残っているのは、私たちの所属するエリアでの大きな行事に於いて、私が俳優の経験を持っていたこともあり、演劇の部門での演出の任務をさせて頂いたことです。

演劇に出演するため多くの男女青年部員が集まったのですが、その演技指導をせよとのことでした。 それまでの私は、行事等を観にくるだけの受け身の立場だけであったのですが、その時初めて行事を見せる方の立場になったのです。 信心ではなく演劇の指導とはいえ、参加されている会員の方々はその信心や活動において私よりも数段高いステージにいる人たちばかりです。

私は自分が本当に参加されている方々の、そして学会のお役にたてるのであろうかと、自分自身の問題で悩んでいた時以上に悩み、そして祈りました。

そうして、私が任された以上、皆よりも信心が浅かろうが深かろうが、私は演劇に参加するメンバーが本番で恥をかかぬように、観にきてくれた人々が落胆しないように、全力で取り組もうと決心しました。

言い換えれば、メンバーや学会の名を辱めないように頑張ろうと思ったのです。 もちろん一番重要なことは、当日足を運んでくれる人々の為です。

その経験の中で、私はそれまで観念では分かっていても今一つ実感のなかった、他人のために祈るということと、寝食を惜しんで行事のために奔走している幹部の方や他のメンバーの意気込み、そして何よりも学会の熱き息吹といものを学ばせて頂きました。




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