松本真明さんの活動報告



(活動報告)


第一回学生部幹部会の本会場に代表参加させていただく話を方面学生部長より頂 く。

しかし、この日は、落としてはいけない皮膚科の試験が入っていた。

しかし、絶対に先生にお会いしたい気持ちが強く、直接教授の所に行って試験日 を変えてもらうよう尋ねる。

このときは、絶対試験日は変わると確信していた。

その通り、試験日はずれる。


その次の日、親に会合の為の交通費を送ってもらうように電話。

その時親に、交通費の5万ぐらいはその辺から湧いて出てくると断言。

その次の日、親に臨時収入5万円。


それから、本会場当日、先生に絶対何かを伝えたいと僕のスーパー御本尊に祈り まくる。

その時、願いは叶った!と確信。

そして、迎えた当日、思いもよらぬ空港までの渋滞にはまり、待ち合わせ時間に遅れるかもしれないという重いが、スーッと頭をよぎり、でもこれは、何か意味があるにと思い全く焦りはなかった。

そして、「お、交通情報を聞こう」と思い、車のラジオを付ける。

その時、ちょうど交通情報が流れる。

その後、朝の歳時記が耳に入る。

アナウンサーが今日は4月15日は、ヘリコプターの日という、「そうか!今日はヘリコプターの日か!」と感慨深く聞く。

その次、今日はイタリアの芸術家レオナルド・ダヴィンチが生まれた日と聞く。

その瞬間「これだ!」と、思い、先生はダヴィンチが大好きだから「今日4月15日、ある偉大な芸術家が生まれた日である。その芸術家は誰かわかる人」と質問されると確信。

やっぱり何かあったな、これがあったんだなぁ。

スーパー御本尊thank youと感謝する。

その時から、ずっと題目をあげる。

何が起ころうとあげる。

「絶対に手をあげて、先生にメッセージを伝えよう!」と とにかく祈る。

しばらくあげると心の中で「よし叶った、やったぜ!」と確信。

その後また祈る。

今度はどういうメッセージを伝えようかと‥‥‥。

そうこうしているうちに、本会場に入り会合が始まる。

先生が入られるまでの、秋谷会長の話は全く耳に入れず、ひたすら先生との出会いの瞬間を待つ。

そして、先生が入られる。

そして、スピーチを始められる。

しかし、話の内容は周総理、しかし、絶対にレオナルドが来ると祈りまくり、そんな周総理の話など頭に入らない。

不思議なことに先生の御指導は年代に関する話が多かった。

その度に「おっ、来た!」と思ったが、ことごとく外れる。

「もう終わるかな、もしこれで終わったら、今日の先生のスピーチは全く頭に入 らず帰ることになる。」と思った瞬間、なんと!先生が1452年の今日4月15日は イタリアのある偉大な芸術家の生まれた日である。」と言われる。

「よっ、ほらぁー来たーっ」と胸中で叫び、先生の次の一声を待つ。

「ほらあー来い、ほらあー来い」と、スーパー御本尊に祈る。

そして次の瞬間「誰か分かる人」と問いかけられる。

「待ってました!おりゃーっ!ハイッ!」とありったけの声で手をあげる。

「君」と先生があてて下さり、自分でも信じられないようなタイミングで、間髪 入れず、「レオナルド・ダヴィンチです。」と答える。

先生は「その通り」と頷かれる。

「よっしゃー やったぜースーパー御本尊」と心の中でガッツポーズ!

そして先生が「どこの大学か」と聞いて下さり、即座に、「高知医科大学です。」とありったけの声で答える。

しかし、先生にはききとれなかったらしく、臨席されていた森田理事長がすかさず、「四国の高知です。」とおっしゃって下さり、先生に理解して頂いた。

先生には私に対し、「金バッジを差し上げなさい」とおっしゃって下さった。

中腰になっていた私は、言葉では言い表せない気持ちになった。

気がつくと、会場は大拍手の渦であった。

「やったぜースーパー御本尊!」と何度も何度も感謝する。

感動がさめやらぬうち、先生のスピーチは終わり、司会より、池田先生に、金褒章授与ということで、岡部学生部長より、壇上で授与して頂く。

割れんばかりの大拍手、その後すぐに、岡部学生部長に呼ばれ、側近の記者の取材を受ける。

なぜ、知っていたということと、絶妙なタイミングで答えられたのはなぜなのか、又、家族の事など聞いて頂き、朝のラジオの話と、メッセージを送りたいとの思いを伝えた。

山崎学生部長より、自分の折伏戦の話をしていただき、岡部学生部長より、「本当に戦ってきたんだ、又、本当に祈ってなければ、あのタイミングで答えられることはできない。」と呼吸性を教えていただく。

実は私は3月16日、友人2人の御本尊流布を実られることができました。

私は、この春より医科大学5回生となり、学業と学会活動の両立が、大変難しい 状況となる中、山崎学生部長より、「戦う時は今しかない、3.16に決着をつけよ う」と激を飛ばされ、必死で祈り、語り、動いて参りました。

ある時は、朝まで唱題会と称し、又ある時は、炎の唱題会と称し、又、ある時は、涙の唱題会と称し、祈り動きました。

四者の方々にも多大なご協力を頂、晴れて意義ある3.16に結果を出すことが出来たのです。

この頃私自身の試験が続き、腹を決めた捨て身の戦いでした。

でも、絶対に、「スーパー御本尊、僕は絶対に一番を取るからね。絶対に取るんだ、願いが叶わないわけがないじゃないか、絶対に叶う!」と大確信のもと祈りちぎりました。

残り試験まであと二時間絶体絶命のピンチ、とうてい試験に合格するには、しかも、一番で合格するには絶対に不可能な状態でした。しかし、その二時間の間に、ミラクル・ウルトラ・スーパー奇跡が起きたのです。

その試験は全問回答することができ、それから次から次の試験も、とうてい理屈 や言葉で言い表されないほどの出来。

そして、4月15日本会場の翌日に受けた試験も、とうてい勉強する時間もなかったけども、「スーパー御本尊絶対に満点とれるよね。よし、叶った!」とそのままの勢いで、学校の試験会場になだれ込み、見事満点を取ることができました。

思うに、いろいろ考えてみると、あの本会場で先生に伝える事が出来た、あのメ ッセージは、今年、環太平洋文化祭を迎えるにあたって、高知の皆さんの一人一 人の「先生を絶対お迎えしよう」という一念が、あの型で表れたんだなぁ、とつ くづくそう思いました。

ますます忙しくなる私ですけれども、先生より生涯の原点を作って頂いた以上、 環太平洋文化祭をはじめ、全ての戦いに全力で取り組み、先生のご期待に適う広 布後継の弟子に成長して参る決意です。


以上
松本 真明(まつもとまさあき)

高知医科大学5回生 学生部 県副書記長 23才


*人物の名前はご本人の希望により一部変えています。



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