つーか、福子(ふくし)で学会Ⅱ世なんだよね。
小さいころから家には大きい仏壇があって、土曜日には人がいつもいっぱい来て、私はそれが世間では当たり前の事だと考えていた。
(馬鹿な幼少時代・・・)
母が独身時代に勤め先の先生(床屋)で折伏されたらしい。
父は「なんだかわかんないけどまあいいや」で入信。
(のちに、自分の母が学会人だった事に気づく。気づけよ父ちゃん)
でも、母の父(私の祖父)は大反対。
お題目どころか手もあわせてくれなかったらしい。
ところがある日、私が2歳の時、馬鹿まっしぐらの私は何を考えたか、熱湯味噌汁を頭からかぶった。
泣き叫ぶ私。
しかも真冬の時なので、毛糸のセーターを着ていたらしく、焦った父は対して冷やさないでセーターを脱がせた。
それがいけなかった・・・。
セーターに溶けた皮膚が張り付き、私の腕はケロイド状になっていた。
相当、やばい火傷らしい.
母は泣きながら題目を唱えて病院へ行っていた時、なんと祖父が「御本尊さん、孫を助けてください」と手をあわせて題目を唱えていた(祖母談)
私は頭から熱湯かぶった割には腕だけで済んで、助かったらしい。
今だに、私の右腕30センチにわたりケロイドのやけど跡が残っている。
でも、馬鹿な私は「昔蚊に刺されて、こーなったんだー。」と信じきっていた・・・・・。
母いわく「アンタが熱湯かぶってくれたおかげで信心の話がしやすくなった。」・・・・・。
今考えると なんで「熱湯味噌汁」を頭からかぶったのが謎である。
二回目の「嗚呼っ御本尊様に守られた~」と思ったのは10歳の夏休みの終わり頃の時。
妹と幼なじみの女の子3にんで公園に遊びにいったときの事。
3人はブランコに乗って、「どこまで靴を飛ばせるか競争」をした。
始めは座って靴をポンポン投げて遊んでいたのだが、段々調子に乗って、立ち乗りをして靴を飛ばした。
ところが、私が靴を投げたとき、バランスを崩して、後頭部から落ちてしまったのだ。
さらに私の乗ったブランコが私が起きた時また後頭部にカーーーン。
バタッと倒れて私は動かなくなった。
泣きながら妹と友達が家に向かって走った。
急いで母と公園に来ると、私はフラフラになりながら公園を出て、家に帰ろうとしていたのだ。
そして祖父の部屋に私を寝かせた。
しかし、寝ながらいきなり嘔吐し始めて、血まで吐いた。
祖父は脳がヤバイと直感して急いで総合病院へ。
その間祖父と祖母は題目を上げてくれた。
結果は脳震盪(のうしんとう)。
結局3日で退院したが、恐ろしいのはこれからだ・・・。
なんと、記憶がスパっとぬけているのである。
ぶらんこの乗って遊んだ事も倒れた事も入院の際に暴れて先生の顔を殴った事も、夏休み何処で何をしたか、遊んだ事すべてを記憶が無いのだ。
記憶のない自分の写真って恐いぞ。
マジで・・・・。
入院2日目の昼ご飯を食べた時いきなり母に「・・・アレ ここどこ?」と突っ込んだ。
なんだかギャグみたいな体験談だなあ・・・・。
でも事実なんだよ~ん。
以上なのだ。
(ZILZILぢるぢる)