シンガポール創価学会(SSA)壮年部体験談集「突破」シリーズ5

広宣流布に身を投じて

トムソン圏
チオック・ヤムソング副圏長


「会社は来期のリストラを決定し、私は戦力外であることを知らされ、無力感と不安感に苛(さいな)まれました。」



広宣流布に邁進する人は、多忙な人生をおくる。
その人は大難に遭い、他人よりも苦労する。
しかし、その人は想像するよりも10倍、100倍の価値ある人生をおくるのだ。
池田大作


私は1978年、同じ通勤船で職場に通っていた同僚から日蓮仏法を紹介されました。
しかしながら当時は、ほとんど上辺だけの信心でした。
何故ならば、特定の宗教に束縛されたくなかったからです。
学会の行事には、時々参加をしていましたが、題目はたまにしかあげませんでした。
やがて私は、自堕落な生活をおくるようになり、徐々に信心からも離れてしまいました。

それから10年も経たない1988年、私は再び真剣に信心を始めました。
実はその当時、家庭と職場との双方で、人間関係に悩んでいたのです。
私は手に負えないほどの癇癪(かんしゃく)持ちで、職場の同僚や家族のちょっとした言葉に、すぐかっとなってしまうのでした。
そんな時の私は、まるで燃え盛る炎のようであり、理性を失ったその姿には、息子たちでさえ避けるほどでした。

恐らく私の短気な性格の原因は、子供時代に遡(さかのぼ)ります。
私が5歳の頃、父が交通事故で亡くなりました。
また、祖父母と折り合いの悪かった母が、私を残して家を出ていったのです。
喜びや悲しみを分かち合える家族、そして両親の愛情の欠如は、私を反社会的で怒りっぽい性格の人間に育ててしまっても不思議ではなかったでしょう。

職場でも家庭でも、心が安らぐ場所がなく、事態は悪化するばかりで、地獄のような生活でした。
皮肉にも、私はそんな私の短所をよく分かっていたのです。
私の欲求不満は、地獄のような境遇から抜け出せない自分自身の無力に向けられていました。

そんなある日のことです。
学会活動を休止する前にコピーしておいた、シンガポール創価学会の機関紙を入れた箱を、久しぶりに開けてみたのです。
体験談に目を通しているとき、因果律について語られている池田先生のご指導が目に飛び込んできました。

「他人でどうはなく、自分自身に目を向けると、全ては自分の宿業が招いたものであることが分かる。
それが正視眼というものである。
どうか、その自覚こそが、人間革命の第一歩であると思っていだだきたい。」

そのご指導は、私の心の琴線に触れました。
私はその時、南無妙法蓮華経によって私の生命をコントロールせねばと思ったのです。
その日から、私は一層信心に励むようになり、妻への折伏にも取り組みました。
1990年3月3日、御本尊様を我家にご安置することができました。


譬えば闇鏡も磨きぬれば玉と見ゆるが如し、只今も一念無明の迷心は磨かざる鏡なり是を必ず法性真如の明鏡と成るべし、深く信心を発して日夜朝暮に又懈らず磨くべし何様にしてか磨くべき只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを是をみがくとは云うなり。
(一生成仏抄 p.384)


真面目に信心して、私は自身の生命を磨くことができ、短気な性格にも打ち勝っていきました。
同僚たちも私の大変貌を目撃しており、私が他人の意見を素直に聞くのを驚いて見ていました。
私の変化は、職場の雰囲気をも打ち解けたものとしました。
最も大切なことは、私の信心の再開が、後になって計り知れない功徳をもたらしたということです。

今の会社には、23歳のときに発送係として入社しました。
それからというもの、35年間もの間、忠実に職務を遂行してきました。
順風満帆な勤続35年でした。
当時の私の業務は、地方公共団体や外国大使館、それに小売市場や関税業務に付随する事務に関係するものでした。
日々の業務はうまく行っており、私は仕事に満足していました。
仕事に於いては何の問題もなく、私は全ての学会行事に参加できました。

勤務して22年経ったとき、会社は大幅な人員削減を求めてきました。
私自身がそのような危機に直面したのは、それが最初ではありませんでした。
1998年から2001年の間に、会社は何度も人員削減を余儀なくされました。
いずれの危機のときも、社内の全部署がリストラに因り縮小されました。
そんな時でも、私は信心根本に、自分の職務を全うできました。
そのような仕事上の苦難や不安定な状況にあるにも関わらず、私は支部長の任命を受けました。
私は、自行化他という、仏法の本義を実践に移すための、リーダーシップの役割というものを考えました。

2007年、私は、50人のリストラ要員の中に入れられるという可能性に直面しました。
会社は、全ての財務及び総務関連業務を、マレーシアやフィリピンなどの企業に、外部委託しようとしていました。
私の職種は、この会社方針に因り、不要なものとなってしまいました。
会社は、来期に於ける人件費削減を目論み、私は社内に、もはや私の居場所がないことに気がついたのです。
私を無力感と不安感が襲いました。
会社に拠る配置転換などの配慮を、手をこまねいて待っているしかすることがなかったのです。
こんな悪い知らせを、妻や息子たちにどのように話せばいいのでしょうか!?

私は思い切って、妻にこの悪い知らせを打ち明けました。
すると、妻は私を叱りました。
「宿業を乗り越えて勝利するという、あなたの闘争精神はどこに行ったの?
御本尊様の前に座り、学会活動を続けさせてくださいって、真剣に祈るのよ!」
今更ながら、この苦難に挫(くじ)けなかったのは、妻の励ましと支えのお陰であると、心から感謝しています。

この苦難の最中、いつも心に留めた、祈りに関する池田先生のご指導があります。

「祈りは深くなければならない。
祈りは希望を生み出す。
祈りは強さを生み出す。
祈りは智慧を生み出す。
日々、真剣に祈るべきだ。」

私は全ての学会活動をやり切りながら、断固とした祈りと闘争精神で、リストラの危機に打ち勝つための闘争を開始しました。
勝利を掴むまでの、不運を好機に転換する、変毒為薬の取り組みについて述べます。

私は新しい職域チームに配属され、新システムの集中トレーニングを受けました。
更に、私たちのこれまでの業務を、アウトソーシング請負業者へ引継がせる作業も開始しました。
私は、業者と共に働く、この職務の維持を望んでいました。
しかしながら、全てのトレーニング終了後、経営陣から、私の業務はもはや会社に必要ではなく、私がリストラ要員リストに編入された旨を告げられました。

このような殺伐とした時期、同僚たちは様々な意見や不平を私に告げました。
私の健康を気遣ってくれる者もいれば、厳しく批判する者もいました。
或るものは、私を嗜(たしな)めました。
「会社は君をもう必要としてない、なのになぜ、そんなに一生懸命働くんだい!?」
また、他のものは言いました。
「経営陣は君を利用しているだけだ! 用済みになったら、ボロキレのように捨てられるだけだよ!」

リストラ危機の間、私は、余分な仕事を負わねばならなかった非協力的な人々だけでなく、やがてその業務が消えてなくなる不運な人々とも対応せねばなりませんでした。
それに加え、新システムに不慣れな社員が起こす全ての問題にも対処せねばならなかったのです。

そんな時、私は気づいたのです
この苦難の道は、私が過去世に於いて願ったものであり、故に獅子奮迅の闘いを続けるべきなんだと。
引き返す道はなく、全ての困難に立ち向かい、「負けたらあかん!」を貫くべきなのです。
家族を過度に心配させたくなかったので、私は会社での苦境を家で話しませんでした。
ただ御本尊様に向かい、困難を乗り越えるための力と功徳とを祈ったのです。

2008年3月中旬、会社は私の三つの仕事を提案してくれました。
しかしながら、役職に就ける保証はありませんでした。
それらの仕事のうちの二つは、程度の低い仕事であり、私は学歴が高すぎると見なされました。
残りのもう一つの仕事は、財務部の職務であり、そのような仕事が私にできるのか自信がありませんでした。

この間、私の上司は、私が積極的な態度で、困難な中を奮闘している様子を見ていました。
そのような訳で、私は2回も褒賞を受け、その上司は、会社が引き続き私を雇用するように、会社幹部に取り計らってくれたのです。
最初のうち、会社の海外取引先は、それに強く意義を唱え、彼等と働いている地元の責任者を雇用するように要求しました。
しかしながら、私は地方公共団体と親密且つ良好な関係を築いていたので、後には、彼等は諸天善神となって、私を強く支援してくれたのです。

2008年7月中旬、会社幹部は私を財務部の役職に就けてくれ、リストラされずに勤務を続けることができました。
リストラされて職を失わなかったのは、本当に功徳であったと思います。
私は、2008年度人員削減計画から生き残った3人のうちの一人となったのでした。
そうして私は、マレーシアやフィリピン及び他の政府機関との間に於ける、外部委託業務のコーディネーターの役職に任命されたのでした。

これまでの半生を振り返ってみると、御本尊様への強い信心と、広宣流布への確固たる取り組みを根本として、多くの勝利を手にしました。
会社での勤続35年を通じても、多くの貴重な体験をしました。
今は、社員も互いに疑心暗鬼することはなく、協力し合って働いています。
私の今の勤務部署である財務部は、とても安定しており、現在私は、マレーシア及びフィリピン並びに英国やその他の政府機関との間に於ける折衝係として、更なる重責に就いています。

私の二人の息子は、それぞれ2009年と2010年に大学を卒業し、今は大企業で勤務しています。
彼等は、とても親孝行な息子たちです。
2010年、私は、広布の牙城を守る50人の王城会メンバーを束ねる、第五方面王城会グループの総責任者の任命を受けました。

創価学会創立100周年となる2030年を目指し、全力を挙げて青年を育て、王城会や広布の第一線で共に切磋琢磨する、創価の男達(壮年部、男子部)の連帯を築くことを、ここに堅く誓います。

苦難に陥ったときに、先生のご指導は、いつも勇気を奮い立たせてくれる源泉でした。
私の生命に深く刻み付けたご指導があります。

「広宣流布に邁進する人は、多忙な人生をおくる。
その人は大難に遭い、他人よりも苦労する。
しかし、その人は想像するよりも10倍、100倍の価値ある人生をおくるのだ。」


おわり。





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