創価大学合格体験記

『これは2004年の夏、静岡県の浜松で行われた受験生大会での体験発表です』

みなさん!こんにちは!

私は、創価大学文学部社会学科1年の柳沢優と申します。

今日は、つたない体験ではありますが、みなさんお役に少しでも立てればと、私自身の「創価大学合格体験」を話させて頂きます!

最後まで元気いっぱい!やらせて頂きますのでよろしくお願いします!

私は小さい頃、小学1年生のときに両親が離婚したことにより、たくさんの家をたらいまわしにされながら育ちました。

お兄ちゃんができたと思えば、お姉ちゃんができる。その人達がいなくなったと思えば母が変わり、父が変わり、家族が変わる。

いつも誰かの顔をうかがいながらの生活。

そうしていかなければ生きていけませんでした。

小学生から中学生の頃は、いじめにもあい、毎日自分の気持ちを整理するので精一杯。

勉強も手につかず、高校も浜松城北工業高校に進み、卒業後はすぐに働くつもりでいました。

そんな私に転機が訪れたのは、高校生の時でした。

その頃は家でも自由に学会のことが学べるようになっており、私は会合にも参加するようになりました。

学会員さんはまるで家族のように私を迎え入れてくれ、私はいつしか

「この人達のお役にたてるようになりたい」

と思うようになっていました。

そして人生の確固たる軌道を求めるようになった私は、師匠を求めるようになり、「池田先生に会いたい」とお題目を唱えるようになりました。

唱題をし始めて一週間がたった4月27日の深夜のこと。

高等部の担当者から、私に一本の電話が入りました。

「優君、明日東京で大事な会合があるんだけど、一緒に行かないかい?」

その頃私はテニス部に所属していましたが、ちょうどその日は監督の都合で休みなっており、私は快く承諾しました。

実はその会合は創価学会の4月度の青年部幹部会で、私は高等部の代表として参加。

そして、会合の直前、池田先生が参加することが告げられ、思いがけず、創価大学の池田記念講堂で、池田先生と初めての出会いを果たしたのです!

難しいお話は何一つわかりませんでした。

ただ先生の青年をどこまでも大事にし、期待される姿に感動。

先生が高等部の代表のほうを向かれ、一言「創価大学にいらっしゃい」

と言われたとき、私は無我夢中で「ハイ!」と答えていました。

池田先生の下で学び、たくさんの人のお役に立てる人になりたいと、その日から、私の受験勉強が始まったのです。

しかし、受験勉強を始めてみたものの、私の高校は工業高校。

その年の大学一般入試を受けたのは、学年で私を含めたったの二人。

それに頭の悪い私はそれまでろくに勉強をしたこともありません。

英語が宇宙語のまま受けた最初の創大受験はすべて不合格。

しかし自分の決めた道は変えたくないと、多くの仲間が就職していく中、一人予備校での浪人生活をスタートさせました。

まったくのゼロからの浪人生活でしたが、学会の指導どおり、朝晩の勤行・唱題を真剣にあげたおかげで、やるべき勉強もわかり、生活のリズムも整い、周りからも支えられ、30分の勉強もできなかった私が、一日十時間の勉強をできるようになりました。

成績はどんどん良くなり、秋になる頃には、模試の判定も「E判定」から「B判定」にまで。

合格を確信できるようになっていました。

しかし、私はここで慢心したのです。

唱題をし、御本尊様に護られ、皆に護られ、智慧が出たおかげで成績も上がったのに、自分の実力だけであがったと錯覚。

直前になる頃には、「唱題する時間があるくらいなら、勉強してた方がいいじゃないか」

と、ほとんど唱題もしなくなっておりました。

そして、合格点も取れるようになり、万全の準備を整えて臨んだ、試験の二日前。

なんと私はインフルエンザにかかってしまったのです。

翌日の朝、東京に発つ予定だったので、「向こうで医者に掛かればいいや。薬を飲めばなんとかなるだろう」

と思い、八王子の病院に行ったところ、丁度その時が東京でのインフルエンザのピークで、医者からは「薬はありません」との一言。

試験当日は、40度の高熱と、吐き気、めまいにより、問題文が目の前でグラグラと揺れる状態で、とても試験を受けられるような感じではありませんでした。

そして結果は不合格…。

この時は自信があっただけに、さすがに落ち込みました。

次第に高まりゆく周りからの批判、視線。

心身ともにボロボロになり、私は半ば逃げ込むように、その春から神奈川県の大和市で一人暮らしを始めました。

働きながらの勉強生活。

人並みの苦労も覚えました。

その中で男子部活動もし、多くの学会員さんの信心を根本とし、人々に尽くしていく生き方に触れていったとき、私は次第に落ち着きを取り戻していくのです。

「そうだ。僕は最後になって、一番大切な『何の為』ということを忘れていた。受験にさえ合格すればそれでいいと思っていた。でもそうじゃなかった。合格したって、人の恩を忘れ、御本尊様の恩を忘れた人間に何ができるだろう。かえって皆に迷惑をかける人間になっていたに違いない。よし、これからは何があっても信心・学会を根本として生きていくぞ」

そして再び決意の唱題を開始し、そこで生涯初めての折伏・弘教を達成することができたのです。

もう迷うことはないと、浜松に帰ってからは、毎日1万遍の唱題と8時間以上の勉強を敢行。

一日ごとに成績が上がっていくのを感じ、苦手だった英語も、200点中50点もとれなかったのが、200点満点中160点取れるようになり、国語は150点中130点、選択科目である現代社会では100点中90点とれるようになりました。

直前のセンター模試ではバリバリのA判定。

しかし、ここで安心してはならないと更に唱題・勉強に挑戦。

センター試験当日は緊張しながらも、無事試験を終えることができました。

家に帰り自己採点してみると、いつもより少し点数が取れていませんでした。

創価大学の場合、大きく分けてセンター試験と一般入試のどちらかで合格することが求められます。

頭の悪い私の場合、器用に2つの試験を勉強することはできず、センター試験に焦点をしぼり勉強を進めてきたので、ここで通らなければまず無理だろうという思いがありました。

翌日からはセンターでの合格を祈って唱題に挑戦。

試験翌日の1月19日から、合格発表日の2月10日まで60万遍の唱題をあげきりました。

期待に胸を膨らませ、迎えた合格発表当日。

なんと結果はすべて不合格でした。

「あんなにやったのにどうして…」

正直、そう思いました。

一般入試の試験日は4日後の2月14日。

もう絶対無理だと思い、あきらめかけたとき、私を支えてくれたのはまたしても、学会の同志でした。

「ここであきらめちゃだめだよ!何のために信心してきたんだ!」

この言葉に目を覚ました私は、

「そうだ……今こそ信心なんだ……」

と、とにかく御本尊様の前に座り、「いま何を勉強すべきか!」と死ぬ気でお題目をあげました。

唱題していると不思議に「英語ならあの問題」、「国語の記述はこの書き方」、「現代社会はここが…」と、具体的な勉強内容が自然と頭の中に思い浮かんできました。

そして思い浮かんだ事をとにかくメモにまとめ、そのメモの内容をすぐに勉強。

勉強したらまた御本尊様の前に座り、唱題。

浮かんだことをメモし、勉強と、とにかくこのサイクルを3日間続けました。

そして唱題のときの不思議なメモは最後まで途切れることはなかったのです。

当日は、なかばやけくそで試験会場に臨みました。

元来、上がり症な私でしたが、そのときは自分でも驚くくらい、冷静でいられました。

そして、最初の英語の問題用紙をパッと見た瞬間、私は絶句してしまいました…。

なんとそこには、唱題した時に出てきたあのメモの内容と、まったく同じ問題ばかりがでていたのです。

そしてこれは国語でも現代社会でも同様でした。

試験も無事に終わり、帰路についた私でしたが、やはり不安をぬぐい去ることはできず、帰ってからは一日10時間唱題に挑戦しました。

もう何も失うものはないと迎えた合格発表の前日。

私は一人しんしんとお題目をあげていました。

そして「僕は、今までなんと多くの人にささえられて生きてきたことだろう。英語もろくにわからなかった自分が、学会や御本尊様についてきたおかげで、ここまで勉強できるようになった。たとえ落ちたとしても、感謝こそすれど、恨むことなど一つもない。明日結果がどうであろうと、僕は一生信心からは離れないぞ」

と覚悟することができました。

そして合格発表の2月21日、私は見事、創価大学文学部社会学科に合格することができたのです!!!!!

これは余談ですが、実はセンター試験の時は本命の社会学科を含めて3学部受験しており、点数的には第一志望である文学部社会学科は厳しい状態でした。

しかし、一般入試では経済的な理由で、社会学科のみの受験だったので、振り返ってみると、何の悔いもなく自分が一番学びたいところに最後には行けるようになっていました。

いま私は、10月24日に行なわれる、国家試験の行政書士試験に向けて勉強中です。

創価大学は世界45カ国から学生が集いあって学んでおり、留学、国家試験、クラブの全国大会等、本当にたくさんの友が、日々共に語り合い、夢に突き進んでいる大学です。

私は幸せです。

学会・信心についてきおかげで、幼少の頃より、ろくに勉強できなかったのが、いま池田先生の下で、たくさんの善き友に囲まれ、毎日思い切り勉強ができます。

本当に信心をやって良かった。

最後に、私が受験勉強でくじけそうになったとき、何度も拝した『青春対話』の一節をみなさんに紹介して、私の体験談とさせて頂きます。

「たとえ諸君が、自分で自分をだめだと思っても、私はそうは思わない。全員が使命の人であることを疑わない。だれが諸君をばかにしようと、私は諸君を尊敬する。諸君を信じる。倒れたって、そのたびに起きればいい。起きれば、また前に進める。若いのです。建設です。戦いです。今、これからです。今、何かを始めるのです」

ご清聴ありがとうございました!

以上!

創価大学文学部社会学科1年 柳沢 優




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