これは、実はあまり人に言いたくないことなので、多くの人は知りません。
私の病気は極度のノイローゼでした。(東北は特に精神病には偏見の強いと ころです。また職業上、誰にも言えなかったのです。)
発病は、今から2年前になります。
突然、過呼吸発作に襲われたのが最初でした。
精神科にも行きました。
「ドクターショッピング」と言われながらも、いくつかの病院、医者を変えました。
仕事柄、カウンセリングについて多少の知識がありましたので、あきらめず、自分に合う医者を探し続けました。
私の状態は、精神病とまではいかなくても、かなり強い鬱状態で、度重なる発作に苦しみました。
これは、やった人でないと解らない辛さです。
胸が突然わしづかみにされたように痛くなると同時に、呼吸困難になります。
このまま死ぬんじゃないかと何度も思いました。
いっそ、死んだほうが楽だと思いました。
リストカット(手首を切ること)もいたしました。
親や兄弟にも言えず、まして同じ地区の学会員さんにも言えず、苦しかったです。
ただ、以前、住んでいた地区の何でも相談でき、いつもご指導いただいていた婦人部の方に指導いただきながら、本当に1人で戦いました。
「戦った」といいましても、とても格好のいいものではありません。
畳を掻きむしるように、仏壇の前に身を置き、苦しくなるとそのまま横になり、また、少し楽になると題目をあげる、という状態でした。
その婦人部の方のご指導とおり、
「広宣流布のお役に立たせて頂けるよう、病気を治して下さい。」
「仏界を湧現させて下さい。」
そして、自分と同じ状態の人が私の周りに何人もいましたから、(なぜか、そういう人たちが相談に集まってきてしまったのです。)その人達の健康と回復を祈りました。
多くの時間はあげられませんが、とにかく、「自分が楽になるまで」と決めて続けました。
先生の指導をむさぼるように読み、線を引き、また、座談会やその他の会合にもくまなく出ました。
結局、最後は信心であり、ご本尊だけだったのです。
当時のことは、よく覚えていません。
「死にたい」という気持ちと戦っていました。
ただただ必死でした。
お金も名誉もいらない。
とにかくこの苦しみから脱出したい。
ただそれだけでした。
拒食症にもなりました。
体重が7キロ落ち、37キロになっていました。
フラフラでした。
その状態が3ヶ月続きました。
そのうち、とにかく食べよう。
食べなくちゃあ死んじゃう。
生きたいと思いました。
生きて、先生のお役に立てる人間になろう。
使命があってこの世に生まれたならば、それを果たそう。
そう思いました。
そのころから、自分の中で、「自分自身を生きよう。自分は自分以外何者でもないのだから。」と思えるようになりました。
自分を許せるようになったのです。
それまでの私は、まだダメ、まだダメと自分を虐めていたことに気づきました。
自己否定であり、人間否定です。
自分を認められない者がどうして人を認められますか。人を救えますか。そのことに気づいたんです。
信心をしていながら、私は最も大切なことを忘れていました。
それに気づかせていただくために、この病気をしたのだなと思いました。
今も、完全に回復したわけではありませんが、とても楽になりました。
周りの同僚が、「いつも元気そうだね。」と言ってくれます。
穏やかになったとも言われます。
体重は、40キロまでしか回復していませんが、以前より元気に見えるようです。
今でも、たまに軽い発作はありますが、上手にかわしています。
今は、同じ苦しみを持っている人の相談にのったり、仏法対話をしたりと、少しでも生きやすくなれるよう、お手伝いさせてもらっています。
自分の体験を通して思うのは、現代の精神医療の限界です。
鬱状態なら、抗鬱剤、不安発作なら抗不安剤というように、対症療法でしか、治療をしていません。
人間をモノとして見ています。
なぜ、そうなったのか原因を探らないのです。
いま話題になっている「アダルトチルドレン」(これは、私はある程度評価しています。)の概念を持ってしても、結局、医者は進む方向性を漠然と示すだけであり、患者自身が治る方法を具体的に考え、歩いていく方向を見つけなければなりません。
医者はその部分まで手出しできませんし、してはいけないのです。
私には、「信心」という羅針盤がありました。
でも、それを持たない、つまり仏法を知らない人が歩く方向、そして自分を認め、許してあげる方法をどうして見つけられるでしょうか。
精神科での治療の1期間は10年と聞きます。
つまり、完治するのに10年以上はかかると言うことなのです。
20年、30年と入院し、病院で亡くなっていく人は沢山います。
悲しい現実です。
こうした現実を見るたび、これを救うのは広宣流布しかないと思います。
私の使命の1つは、こうした人たちに仏法に巡り合わせていく事と思っています。
虚空会の儀式の時、私は、「この姿で、この病気をして、広宣流布して参ります。」とお誓いしたのですから。
精神の病を治すには、本当に「信心」しかありません。
断言いたします。
長々と書いてしまいました。
お許し下さい。
でも、私の体験が心の病で苦しむ人のために役立つのであればと思い、思い切って話させていただきました。
ここまで、辛抱強く読んで下さったことに、感謝致します。
おわり。