シンガポール創価学会(SSA)壮年部体験談集「突破」シリーズ7

真正の弟子として人生の津波を乗り越える

リッキー・アング・ヤップコーン方面本部長


「人間として生きていく上で、私たちは苦難を避けることはできません。
重要なことは、その苦難から目をそらさずに、自身の宿業と向き合い、強い信心で宿命転換を成し遂げ、更には勇気を振り絞って弘教にも挑戦し、人生に於いて勝利することです。」



仏法の明確な観点から、私たちが直面する様々な苦難や問題には深い意味がある。
困難な時期は、大きな『心の財(崇峻天皇御書 p.851)』を積む好機でもある。
今世に於ける試練と苦労は、私たちにとっては、家族が団結し、功徳をつかみ、勝利して栄えていくためのものでもある。
(SGI会長 池田大作)


私は29年前に、シンガポール創価学会男子部員の折伏によって信心を始めました。
彼は、よく我家の窓枠に「南無妙法蓮華経」と書かれたメモを残して帰りました。

その当時は、家族のほとんどが何らかの深刻な病気を抱えていて、それらの負担が私の背中に覆いかぶさっていました。
年老いた父は絶えず病気がちであり、頻繁に病院通いをせねばなりませんでした。
また、私の長女は、皮膚病を患っており、医師から勧められた特別な、しかも高価な石鹸を使用せねばなりませんでした。
そして長男は、心臓に穴が開くという、重篤な症状と診断されていました。

若かった私にとって、そんな家族への負担は重く感じられ、家族の世話を放棄して、無責任な生活を送っていました。
厳しい現実から逃れるために、クラブ通いやアルコール、それにギャンブルで鬱憤(うっぷん)を晴らしていたのです。

男子部員が残していったメモに書かれた文字を見ると、私にとっては神秘的な、マントラのような呪文を唱えるような気がしました。
妻と話し合った結果、私たち夫婦は、家族の健康回復と高額な治療費の縮小を祈念して、真剣に題目を挙げ始めたのです。

固い決意で、私は朝早く起床し、少し運動した後に、力強い題目をあげました。
私と妻とは、御本尊様のお力で、我家の宿命転換を果たそうと決意しあいました。
私たちはシンガポール創価学会の多くの会合や活動に参加しました。
同志やリーダーが私たちを気に掛けてくれ、暖かく励ましてくれました。
皆の心遣いや誠意に感激し、仏道修行にも力が入りました。

御本尊様への強い信心と、明確な祈りとで、息子の病状はみるみるうちに快方に向かいました。
心臓に開いていた穴は、不思議にも自然に塞がっていったのです。
また、息子には最新医療技術が施されました。
私たちは、偉大な御本尊様のお力で、息子の病魔に打ち勝ったのです。

この実証は、私たちを広宣流布への活動へと奮い立たせました。
そうして、多くの学会活動に嬉々として取り組みました。
御本尊様の功徳を分かち合うために、私たちは様々な困難に直面している多くの同志を訪問しました。
シンガポール創価学会の活動家として、多くの功徳を頂くことができ、悦び勇んで活動に参加しました。

仏法は、何人たりとも宿業からは逃れられないと説きます。
日蓮大聖人の弟子として、私はこの仏法哲学を理解しています。
また、私たちは、悪業が私たち自身の無明と過去世の罪業によって創られ、その結果は当に現在に現れるのだと習いました。
だからこそ、宿業の嵐が吹き荒れたときに、勇気をもって立ち向かえるように、水の流れるがごときの信心を続け、月々日々に成長していかねばならないのです。
諺(ことわざ)に、「鉄は熱いうちに是を打て!」とあるように、私たち家族は弛(たゆ)むことなく信・行・学に精励し、宿業の嵐に立ち向かえるように、更に功徳を積み続けました。
案の定、2009年に、私たちは新たな病魔と対峙(たいじ)することとなりました。

私はずっと山あり谷ありの人生を送り、病魔にも悩まされてきました。
2009年9月9日、妻と車で移動中に、男子部のリーダーと電話で会話をしていたときのことです。
話している最中に、例えようのない悪寒に襲われたのです。
言葉ではうまく説明できないのですが、胸騒ぎというか、不安な気持ちで胸がいっぱいになってしまったのです。
私は直ちに帰宅しました。

帰宅するや否や、法華経の兵法で解決せねばと、御本尊様の前に端坐(たんざ)し、約30分間、必死に題目をあげました。
やがて意識が朦朧(もうろう)とし、呂律(ろれつ)の回らない口調で題目を唱えていたのです。
不安を感じた妻は、私を近所の医者のところへ、検査のために連れて行きました。

軽い脳梗塞を起こしていると診断され、院長は直ちに私に、シンガポール総合病院の救命救急センターを紹介しました。
総合病院へと向かう車中、私と妻は心の中で真剣に題目をあげました。
それは私自身の宿業でした。
だからこそ、御本尊様に対する信心の、明確な勝利の実証を示そうと、私は覚悟したのです。

病院で私は、不安なときを過ごしました。
CTスキャンを施された後、入れ替わり立ち代り医者がやって来ては、私を診断しました。
彼等は、正確な診断を下すために、私の病歴について何度も同じ質問を繰り返し、適切な治療を決断しました。
私は、脳梗塞に因る影響のために、医者の質問にうまく答えることができなかったのです。
筆談で意思の疎通を図ろうとしましたが、心に浮かんだ文字さえも書くことができなかったのです。
私は言語能力を失ってしまったのです。
私は、基本的な意思表示能力を失くしてしまうという、想像を絶するほどの恐怖を感じました。
まず最初に脳裏を過(よぎ)ぎったことは、声を失った私が、この先どのようにして広宣流布していけばいいんだ、ということでした。

やがて、治療が始まりました。
医師団は私の家族に、まだ臨床検査中であった、新薬投与の許可を求めました。
その新薬は、発作後6時間から9時間に投与し、私のような症例の患者に素早い効き目があるとみられていました。
しかしながら、その新薬は脳内出血という重い副作用を引き起こす可能性があったのです。

私の家族は、一旦新薬に拠る治療に同意したら、後には引き返せないというジレンマに陥りました。
御仏智への強い信心で、家族は治療に同意したのでした。
私の決意は、早期に回復して広宣流布の活動を再開することでした。
そうして、そのためにこそ、声を取り戻すことでした。
この強い使命の自覚で、私は新薬に拠る治療を受け入れたのです。
御本尊様は、私を見放しはしないと、確信していました。

新薬投与が始まる前、私はMRI(断層撮影装置)による検査を受けねばなりませんでした。
検査には一時間ほど掛かり、微かな血管の閉塞を映し出していました。
私の脳梗塞は症状が軽く、結局、新薬に拠る治療は必要なかったのです。
私には、血中濃度を希釈して閉塞物を溶解させるアスピリンの投与のみが行われました。
2-3日も過ぎると、徐々に言語能力が回復し、四日目には退院できたのです。

今回の病気から得た功徳は、大聖人様が御書の法華経題目抄で、「法華の名を受持せん者・福量る可からず」と説かれているとおりのことです。
大難に直面している時でも、私たちは断じて御本尊様や信心に対して、疑いをもつことなどありませんでした。


「わざはひも転じて幸となるべし・あひかまえて御信心を出し此の御本尊に祈念せしめ給え、何事か成就せざるべき。」
(経王殿御返事 p.1124)


我家の宿命転換の闘いは、2010年1月12日に、今度は妻であるサリーの脳卒中として現われました。
彼女の右脳の、動脈の二つが破裂して、意識不明となってしまったのです。
病院に運び込まれるや、神経外科医は直ちに、妻の脳内出血に対する処置を施し、鎮静剤を投与しました。
次の日、医師団は、二つのダメージを受けた動脈を切除する為の大手術を行いました。
医師に拠ると、意識不明になってからの回復は希なことであり、病院でも前例がないとのことでした。

危篤状態が続く間、妻はずっと強い生命力で闘っていました。
その生命力は、これまでの数年間に、強い題目で積み上げた功徳でした。
また妻は、生命の危機に際して、諸天善神の加護も得たのでした。

妻の左脳の動脈の一つを切除したことに因り血栓が生じ、深刻な合併症が現れました。
血栓を除去する手術には細心の注意を要し、しかも手術成功の保証はありませんでした。
私たちは、タン・トック・ソング外科病院のような、他の病院の神経外科医や放射線科医の助言を求めました。
彼等の全ては、リスクが伴う手術に消極的でした。
しかしながら、手術に踏み出さないと、数時間内に血管が破裂して、命取りとなるでしょう。
どうしようもない状況でしたが、全く希望がなかったわけではありません。
あれやこれやと悩むよりも、信心で、そして強い祈りで解決しようと決意したのです。
手術への同意の決断を医師に伝える前日、私たちは真剣に題目をあげました。
題目の偉大な力を確信して、私たちは手術に同意したのです。
私たちを思いとどまらせることが不可能だと悟った国立医科大学の医師は、手術に踏み切りました。

如(し)かして、血管内冷却手術は成功しました!
私たちは、処置を行った医師団に大きな安心感を覚えました。
彼等は、あのように特殊な、そして困難な手術を成功に導いたのです。
私たちは心底、不可能を可能にする、題目の威力であると思いました。

2010年4月20日の58歳の誕生日、妻は退院できました。
妻は脳神経にダメージを受けていたので、車椅子からの生活から離れるには、リハビリが必要でした。
妻は先に進むためにも、不屈の闘争心で努力し、その姿に私も勇気付けられました。
今、妻は益々信心強盛となり、希望に溢れています。
このことが、私にとっても励みとなり、今後も定期検査や治療のための通院など、妻を支えていこうと決意しました。
苦難のトンネルの出口はもうすぐです。


「此の経をききうくる人は多し・まことに聞き受くる如くに大難来れども憶持不忘の人は希なるなり、受くるは・やすく持つはかたし・さる間・成仏は待つにあり。」
(四条金吾殿御返事 p.1136)


苦難の最中、今は独立し家庭を持っている子供たちも応援してくれました。
更に重要なことは、素晴らしい家政婦さんに出会ったことです。
彼女はまるで家族の一員であるかのように、とてもよく気がつき、妻の面倒を看てくれます。
闘いの真只中(まっただなか)にあって、彼女の支援は大きく、彼女無しでの生活は考えられません。

人間として生きていく上で、私たちは苦難を避けることはできません。
重要なことは、その苦難から目をそらさずに、自身の宿業と向き合い、強い信心で宿命転換を成し遂げ、更には勇気を振り絞って弘教にも挑戦し、人生に於いて勝利することです。
苦難は、宿命転換の好機であり、人間革命をとおして私たち自身を磨き、輝ける未来を創り出すのです。
これこそが、大聖聖人様の仏法です。

おわり。





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