題目って本当に素晴らしい!!」

南 春子


☆私は、1997年10月25日に入信して以来、「学会員は弱虫ではない」という池田先生のお言葉と、地区の同志に支えられ勇気を頂き9月15日23人目の折伏をすることができました。

私は、ヘルニアという持病と戦いながら松山空港内で仕事をしていたのですが、その職場の友人からはじめて創価学会のことを聞きました。

「南無妙法蓮華経と唱えれば必ず幸せになれる」との言葉に、不信はありましたが何の抵抗もなく軽い気持ちで言ってみようと思いました。

最初の3日間はサボって4日目から言い始めました。

聖教新聞は取ってはいましたが、読んでませんでしたし、学会には「絶対入らない」と決めていました。

内徳信仰を始めて1ヶ月が過ぎた頃にいきなり病院から電話が入り、「妹が両 目失明寸前です。」という連絡を受けました。

あまりの突然の事故に驚き、泣き崩れましたが経本を胸に抱き泣きながら、すがる思いで題目を唱えました。

気が付いたら経本はボロボロに破れていました。

そんな私を見て隣にいた(未入信だった)主人が「これからの妹さんの面倒を今お前が言っている題目で見守ってやれ」と言ってくれ、私も自信を持って題目を上げつづけました。

私が入信する頃には、両目が失明するだろうと言われていた妹の片目は救われ、ボロボロになった経本は3冊目になっていました。

私は妹の事故がきっかけで、題目の素晴らしさ、信心の確信を掴ませていただきました。

髪をバッサリ切って決意新たに入会記念勤行会に向かいました。

御本尊様を頂いたときに私は、「御本尊様、ありがとうございます。これで私は広宣流布させていただけます。南春子がみんなを救っていきます」と感謝の気持ちで一杯で頭を上げる事ができませんでした。

そして、御本尊を頂いたときに決意したことは、「主人も共に御本尊様の前に 座り二人で勤行、題目、学会活動をして一人でも多く、素晴らしい仏法がある事を教えてあげて、世界に正しい仏法の輪が作ろう」ということです。

私が主人と出会ったのは、10年前です。

昼も夜も寝る間も惜しんで東京で仕事をしていた頃、合間を縫っては、足立区にあった図書館に足を運んでいました。

そこに来ていた外国人の人に日本の言葉や文化を教えていると、何故だか1人が2人に、2人が3人に…と気が付くとその人数は30人にもなっていました。

私は、給料が入るとすぐに留学生たちを食事に連れていき、自宅に招いては、ごはんを食べさせていました。

いつも財布の中は空っぽでしたが日本に来て寂しい思いをしている外国人の人達を見ると居ても立ってもいられませんでした。

みんな家族だと思っていました。

これは、私の母譲りの性格なのかもしれません。

私が幼い頃から母は、ホームレスの人達を家に招いてはお風呂に入らせ食事をさせ、翌日には綺麗になった洋服を着せ、おにぎりと小銭を持たせ帰していました。

そういう性格のせいか、入信前から悩みを打ち明けられることが多かったような気がします。

その日本語を教えていた外国人の一人が今の主人です。

私は、主人に「結婚しよう」と言われた時、嬉しかった反面、不安を隠せませんでした。

「私が日本人で彼が韓国人。彼の両親はよその国の私との結婚を許してくれるだろうか」という不安を胸に抱き、主人と一緒に韓国へ旅立ちました。

私達の不安をよそに彼の両親は私達二人を大歓迎してくれ、それから日本に戻ってから結婚を前提にお付き合いが始まりました。

私は、この間に私自身のいや日本の良いところ悪いところ全てを知ってもらおうと思い、私の全てをさらけ出しました。

それから1年後私達は、結婚することができました。

主人、池田先生、御本尊様のどれも比べようがないけれども自分にとってはかけがえのない宝物です。

入信後は、「主人も共に信心ができるように」と一生懸命に題目を上げました。

ある日、主人が「あと、2ヶ月で春子が入信して一年になるね」と言いはじめ、「君が御本尊様を受けてからの後姿をずっと見てたよ。

僕も10月10日に入信するからね」と、言って平成10年10月10日に主人が入信しました。

その言葉を聞いたときは、しばらく声も出ず、ただ涙が出るばかりで、主人の手を握り「ありがとう」というのが精一杯でした。

仏法のことについては右も左も分からない私でしたが、夫の協力を得て、雨の日も寒い日も暑い日も自転車に乗って「威風堂々の歌」を歌い題目を唱えながら仏法対話をしてきました。

ある雨降る夜には、傘もささずに自転車に乗り、前にあったドブに気づかず、自転車ごとそのドブに落ちてしまい、緑の苔を頭にかぶり「なんて情けないんだろう」と涙を流しながら知人宅を訪れたこともありました。

信心していく中で「嫉妬」ということも私は嫌というほど感じながら教学の勉強もしました。

私は弱視なので主人に教材を読み上げてもらい自分用の資料を作り、その資料を積み上げると30センチ程の高さになりました。

ひとつ、ひとつ勉強していく中で「三類の強敵」や「三障四魔」ということを知り、「これが今私の周りで起きていることなんだ…。」と、すべてを仏法で自分の身を持って知ることができました。

つらいとき、悲しいとき、行き詰まったとき私は、先生の写真を見つめ泣きながら、「先生、私は戦います。約束します。決して負けません!!」と、心でつぶやきながらお題目を唱え、どんなにつらかろうが疲れていようが「翌朝起きたら初心に帰りそれから出発」をモットーに仕事に折伏に励みます。

現在は、夫と二人で「キムチ博士」というキムチ店を構え、地元テレビで何度も放映されたり新聞に掲載されたりと本当に素晴らしい功徳をいただくことができました。

先日は、学会本部にも行かせていただき、応接室に通していただき池田先生に「キムチ博士」のキムチを届けて参りました。

来月で入信1年になる主人は、先日、松山大学学生部のメンバー13名を連れて韓国佛教会を訪問し、新たな韓日友好の架け橋を築かせていただくことができました。

これからも今祈っている30人の共と一日も早く御本尊様の前に座れるよう、23人の同志と共に南春子、精一杯頑張って人の心の痛みが分かる人間に成長してまいります!!


以上


松山の南春子





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