女子部のぢるぢる慶子さんと同様、週に一回、みんなが集まってきて会合を開いていても、当たり前のことだと思ってました。
裕福な家庭ではありませんでしたが、3人兄弟全員、自分で言うのもなんですが、いいやつに育ちました。
世間から見れば不良と呼ばれていたとしても、僕にとって最高の兄と弟なんです。
兄弟の中で、最初に活動を頑張り始めたのが僕でした。
信心強情な祖母や両親に守られ「将来は信心するんだろうーなー」というくらいにまでは思ってました。
・・・で、高校を卒業した僕は上京しました。
勤め先は設計事務所です。
ですが、僕には夢がありました。
ゲーム雑誌の編集の仕事がしたかったのです。
そう思いたったのは、高3の秋。
時期的にどーにも遅く、経済的にも両親に迷惑をかけたくないと、自分でお金をため転職しようと考えました。
上京し、半年後、母から啓蒙された新聞がらみでこちらの(世田谷)学会員が訪ねてきました。
いろんな方にお会いし、久しぶりの勤行に感動したりと、時が来ていたのでしょう。
男子部の先輩から「目標が明確なら、なおさら信心しよう」と言われ、また、みなさんの心づかいに胸を打たれ、御本尊様をいただこうと決意しました。
それからの3年間はあっというまです。
仕事について言えば、御本尊様を頂いてから2年と15日後に、雑誌編集部に入社しました。
その3ヶ月後、「今、部署的に暇だから、修行してこい」と言われたのです。
僕が願っていた職場に配属になりました。
僕の祈りが叶った瞬間でした。
学会活動も頑張り始めました。
創価班になり、少年部を担当してたりします。
他にもいろいろやってますが、その全てを自身の成長のための因なんだと捉え、 挑戦しています。
こんな僕が発心した最大の因は、支部内の草創期から戦ってこられたおばあち ゃんが亡くなったことです。
面識はありませんでしたが、通夜に参加したのです。
成仏の相を拝したとき、いのちが震えました。
なんて穏やかな寝顔なんだろう。
本当にいますぐ目が開きそうな顔なんです。
「ああ、僕のおばあちゃんもこういう顔で亡くなるんだな。僕も信心を頑張ればこうやって人生を終わらせれるんだな。」
そう思った時、歓喜の涙が溢れ、止まりませんでした。
その日を境に僕は確かに変わりました。
こんな僕の成長を(というのも恥ずかしい)彼女は見てきました。
もう付き合って4年。
親から「学会だけには関わるな」と言われつづけてきた人です。
彼女はかなりのショックだったらしいです、僕が学会宣言したときは。
でも、ことあるごとに語ってきました。
学会のこと、先生のこと、自分の思ったこと。
月に一度会える日に彼女を部屋に置いたまま会合に行ったり、無理矢理連れていったこともありました。(普通はだめです)
でも、でも、やっと、やっと理解してくれるようになりました。
今は一日5分題目をあげるようになったんです。
泣かせたこともありました。
けんかはしょうちゅうです。
でも、今思うと、その積み重ねが今なんだなと、はっきり分かります。
母の詩を読んで「よかった」と言ってくれるのですから。
もう少しです。
いつかは、地元、青森広布のお役にたちたい。
そのためにも、今、力をつけなければ。2005年まで先生の指導を受けきって、そして、どんな難も乗り越えられる人になりたい。
そう思っています。
(男子部 副地区リーダー S.雅昭)