シンガポール創価学会(SSA)壮年部体験談集「突破」シリーズ8

宿命転換でつかんだ勝利

ケントリッジ地区
カ・キムソング地区部長


「これまでに、私にとって、人生の転換期となる様々な経験をしてきました。
そうして、幸福とは、決して苦難から逃げるということではないと悟ったのです。
それは、その苦難を、人間として成長する好機として、肯定的に捉えることです。」



「戸田先生は強調して語られた。
『例えどのような困難に陥ろうとも、深く、そして強盛な信心を根本に据えて構えるならば、何事をも乗り越えていくことができるのだ。
先ず君自身が変わり、更に成長し、全てに於いての責務を果たしていくならば、断じて勝利していけるのだ。
全ては君次第である。
人生に於ける責務を果たせ!』
全ては私たち自身にかかっている。
何事も、私たちが奮闘し、勝利を得るために強い決意を持っているかにかかっている。
ファイティング・スピリットに溢れているか!?
負けじ魂はあるか!?
それが勝利を決定付けるのだ。」
(SGI会長 池田大作)


1984年、息子のダリウスが生まれてすぐに、姉の奨めで入信しました。
その頃、息子が一晩中泣き続けるという酷い夜泣きに悩まされていました。
私たち夫婦は、色々な治療法や薬を試しましたが、問題の解決には至りませんでした。

数ヵ月後、見兼ねた姉が、私たちに題目を唱えてみないかと薦めたのです。
当時、私は無心論者であり、また、人の意見に耳を貸さない頑固者でもあったので、宗教を信じるなんて思ってもみませんでした。
しかしながら、藁にでもすがる思いで、私は渋々姉の言葉に従ったのでした。

妻と私は、ジン・モー地区で開かれた座談会に初めて参加し、同志の気配りやリーダーの話に深く感銘を受けました。
同志の思いやりや誠意は、私たちの活動に拍車を掛けました。
多くの会合に参加したので、次第に日蓮仏法への理解が深まってゆきました。

私たちが直面する全ての苦難は、過去世に於ける宿業が原因であり、南無妙法蓮華経を唱えることに拠って、宿命転換をしてゆくことが、その解決策であると私たちは学びました。
そうして、この信心は宿命転換していけるのだとも習いました。

この深い哲学に納得し、私と妻は日蓮仏法の信心を決意しました。
私たち夫婦は、シンガポール創価学会(SSA)による建国記念行事(NDP)の演目にも初めて参加しました。
その間に、私たちは息子の具合が改善されていたのを見て、大喜びしました。

次に直面した私たちの苦難は、生まれた長女のシルビアに関するものでした。
生後10日も経っていないのに、娘は重病に罹(かか)り、突然40度近くの高熱を発症したのです。
すぐさま娘を連れて病院に駆け込みましたが、医師は原因不明としか診断を下せませんでした。
その後も続いた検査中、私たち夫婦は心の中で題目をあげ続けました。
やがて医師は、娘が重篤(じゅうとく)な病である脳髄膜炎に感染していると診断しました。

いつも支えてくれるシンガポール創価学会の同志は、またも私たちに寄り添ってくれ、この宿業を乗り越えて行こうと励ましてくれました。
リーダーは次の御書の一節を教えてくれました。


此の曼茶羅能く能く信ぜさせ給うべし、南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さはりをなすべきや。
(経王殿御返事 p.1124)


リーダーは、確固たる信心でこの宿業に打ち勝ち、一家と娘の宿命転換と勝利を勝ち取っていこうと励ましてくれました。
その日から、娘の早期の回復を祈念して、同志の皆さんやリーダーと一緒に、真剣に題目をあげました。
娘が健康で聡明な若者として育ち、広宣流布の活動に貢献できる人材となれるようにとの強い一念で祈りました。

シルビアの容態は、2-3ヶ月後には落ち着いてきました。
医師は、今後10年間は病気が再発しないように、注意深く娘を見守ってあげなさい、と忠告してくれました。
私は、勝利までには長い道程(みちのり)となり、題目で宿命転換していかねばと、心の中で深く決意をしました。
今、私は信心をやり抜いたことに感謝しています。
御本尊様への信心の実証として、シルビアは健康な女性として成長し、様々な学会活動に参加しています。
娘は今年で21歳になります。

1997年、私は仕事上の大きな試練に見舞われました。
私は貿易会社に、幹部社員として入社し、中国本土に赴任しました。
最初は全てが順調で、私は会社の重責を担い、高額な給与も受け取っていました。
私は高学歴ではなかったので、そのような地位に就けたことは、本当に幸運なことでした。

しかしながら、やがてその地位と高収入が私を狂わせていきました。
私は享楽に耽(ふけ)るようになり、酒やギャンブルで浪費するようになりました。
そのために、更に遊ぶ金が欲しくなり、自営業を始めたのですが、手がけた事業の全てが失敗に終わりました。
やがて、仏法で説かれる八風(はっぷう)の如く、ふしだらな生活は、私自身をだめにしました。
私は莫大な借金で苦しむこととなり、全ての預金も失いました。
私は自己嫌悪に陥り、深く後悔することとなりました。


八風(はっぷう)
利(うるおい)・衰(おとろえ)・毀(やぶれ)・誉(ほまれ)・称(たたえ)・譏(そしり)・苦(くるしみ)・楽(たのしみ)の八つの事。
「賢人は八風と申して八のかぜにをかされぬを賢人と申すなり、利・衰・毀・誉・称・譏・苦・楽なり、をを心(むね)は利あるに・よろこばず・をとろえうるになげかず等の事なり、此の八風にをかされぬ人をば天はまほらせ給うなり。」
(四条金吾殿御返事 p.1151)


私はシンガポールに戻り、現実と向かい合いました。
妻は、彼女の強い祈りで私を目覚めさせ、いつもと変わらぬ態度で私に接してくれました。
私は、これまでの自分の罪を購(あがな)うためにも、一生懸命に働き、家族の信頼を取り戻そうと決意しました。
この自省の念と、生まれ変わるんだという決意は、私自身の宿命転換への足がかりとなりました。

たいした資格もない私が、給料のよい仕事を探すのは困難でした。
私は生活費を稼ぐために、単純作業の仕事をしました。
配達の仕事やタクシーの運転手、その他できそうな仕事は何でもやりました。
しかし、私は挫折感を感じ、喪失感を味わっていたのです。
唯でさえ短気な性格であった私です。
たえずイライラし、時には挫けそうになっていたのです。

リーダーは、再度、私を励ましてくれました。
そうして、私は現実から眼を逸らすのは、敗北の人生であると気づきました。
不平や不満、そして愚痴は何の解決にもなりません。
私は先ず懺悔(ざんげ)し、私自身の問題を直視し、御本尊様への強い信心で宿命転換しようとの決意が必要だったのです。

先輩リーダーは、仏法の「変毒為薬」の法理を教えてくれました。
池田先生はご指導で、
「もし信心が弱ければ、毒は毒のままで私たちの生命に居座る。
しかし、信心が強ければ、どんな強い毒であっても良薬に変わるのである。」

と教えて下さっています。


譬えば大薬師の能く毒を以て薬と為すが如し等云云、毒と云うは何物ぞ我等が煩悩・業・苦の三道なり薬とは何物ぞ法身・般若・解脱なり。
(始聞仏乗義 p.984)


大聖人のお教えのままに、私は広宣流布という崇高な使命に邁進しました。
仕事にも真剣に取り組み、強盛に祈り続けました。
また、様々なシンガポール創価学会の行事にも参加しました。
宿命転換のために、学会活動をやり切ろうという決意でした。

在る週末の日、シンガポール創価学会の人材グループに参加しました。
週末でもあったので、私はTシャツに短パン、スリッパという軽装でした。
人材グループの責任者が、私の服装について注意したので、私は気分を害してしまいました。
不機嫌になった私はその場を立ち去り、気分転換のために、道路の対岸にあったコーヒーショップに行きました。

コーヒーを飲んでいると、人材グループに参加している身体障害者を介護している、シンガポール創価学会のリーダーに出会いました。
そのリーダーの振舞いを見て、私は、私がとった行動や感情を深く反省しました。
ちょっとした言葉に機嫌を損ね、自分の感情をコントロールできなかった私は、なんと愚かな人間だったのでしょうか。
私は、御本尊様への信心で人間革命をし、私自身の宿業に打ち勝たねばならないと痛感しました。
すぐに責任者に非礼を詫び、人材グループの活動に戻りました。

この事件は、人間革命こそが成仏への、そして勝利への道であると自覚させることとなりました。
それからの私は尚一層、あらゆることに奮励努力を惜しみませんでした。
数年経った或る日、昔のビジネスパートナーから電話がありました。
思いがけないその電話の内容は、望んでいた仕事への誘いでした。
余りの喜びと、題目の偉大な力とその実証に声が出ませんでした。
私は生涯の仕事を得て幸せでした。

これまでの半生で経験した苦労を振り返って、今、自信を持って言えるのは、人生のどのような局面にあっても、信心だけは堅持してきたということです。
そうして勝利することができたのです。
私の愚かな言動に耐えてきた妻もそうです。
妻は忍辱(にんにく/慈悲)の鎧(よろい)を着て、私に寄り添ってくれたのです。
様々な苦難は、私にとっては宿命転換するきっかけとなりました。
幸福とは、決して苦難から逃げるということではないと悟りました。
それは、その苦難を、人間として成長する好機として、肯定的に捉えることです。

その後、私は壮年部の地区リーダーとして、妻と共に広宣流布の拡大に努めています。
私たち夫婦は現在、充実した生活を送っており、人々の幸福のために活動しています。

私は、本当の意味での豊かな人生経験として、この信心を語っていきたいと思っています。
強盛な信心で、毀誉褒貶(きよほうへん)に翻弄(ほんろう)されぬよう、仏道修行してゆく決意です。
私は、如何なるときも、この池田先生のご指導を心肝に染めています。
「全ては強盛な信心次第である。
あなたの信心が強盛ならば、あなたの人生そのものが福運となる。
それゆえ、信心強盛な人には行き詰まりがない。
どのような状況をも功徳へと、幸福へと変えてゆくことができるのだ。」

この精神で、私は世界平和の構築と広布の誓いに、私の人生を捧げる決意です。

おわり。





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