大阪山形会議



左;よねちゃんマン/右;きたサン 1997年平成9年8月15日16:10、私はボッボに電話連絡した後、自宅を後に新大阪駅中央改札口に向かった。
山形のよねちゃんマンとその友人石川のきたサンに逢う為である。
恐らくよねちゃんマンも男子部員、いわゆる人の良さそうなZILZIL好きのデブ専に相違ないと覚悟していた。
私も人の事をとやかく言える立場にないが、やはりよねちゃんマンもデブ専にちかいものがあった。
喜べ、ぢるりん!!しかしながら、きたサンは中肉中背であったがその風貌は香港シンジケートのXXの売人といった出で立ちであった。
(君、ほんまに男子部か!?)
写真は、某デートクラブ内・・・・いや某カラオケ店内にてボッボからの電話にビビリながら応対しているよねちゃんマン(左)ときたサン(右)であった。



冴島 歳三! さて、右の写真はわたしである。
すでに清@モチヤさんのレポートで世間一般に公表されてしまっているので、あまり皆の衆の感動はないであろう。
写真はたしかマドンナのMaterial Girlを熱唱しているところである。
わたしはマドンナが好きである。
だが松田聖子は嫌いだ。
いつもカラオケでは、ソバンチャや灰田勝彦、ディック・ミネ、李芳蘭、東海林太郎をもわたしのレパートリーである。
マイク持ったら放さず皆の知らない古い歌を歌う・・・・わたしのことである。


以上が大阪山形会議のあらすじである。
さあ、秋はいよいよ大阪集合である。
女性の方は我が家で、男性の方は淀川での河川敷で宿泊となっている。(とよPが炊き出しをやってくれるであろう・・・)
それでは、みなさん、さようなら!!



*よねちゃんマンandきたサンへ、文中での一部失礼な表現お許し下さい。




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