マスク@ゆずちの日



その日、就寝したのは1997年10月8日(水曜日)未明であった。

前の晩、横浜市に住む某ぢるぢるより電話連絡があり、彼女より送られてきた添付ファイルにてサイト構築作業を開始したのが23:40頃、結局、コンピューターの前から離れたのは、あけて03:30頃であった。

私にとって、今日は特別な日であった。

曰く、「マスク@ゆずちに会う日」である。

そう、私達の仲間内では、最後の秘境、野生の王国ともうたわれ、久米明氏のナレーターの調も懐かしく、誰一人会ったことがないという、あの「ゆずちゃ」に会う日なのである。

語り継がれる伝説では、ゆずちゃは「とど」であるいふ。

また、前々日のゆずちゃ本人からの電話でも、自身は「とど」であるといふ。

「嗚呼、愈愈(いよいよ)私は、マスク@ゆずちに会うのか・・・・!?」

私の脳裏には、かすかに映画・八甲田山のテーマミュージックが聞こえてきた。

そのようなわけで、私は異様な興奮を覚え、フトンに入ってもなかなか寝付かれなかったのである。

09:30、目覚し時計の音に起こされた私は、声を殺して黙々と、陰を落として粛々と身支度を整えた。

そうして自転車で最寄りの阪急上新庄駅へ行き、11:05同駅発京都河原町行きの車中の人となった。

待ち合わせの駅は、茨木駅の北側バスロータリー付近である。

茨木市周辺には、メーカー系の工場が多く林立しており、また都心部のベッドタウンとしても栄えている町である。

約10数年前、私は新卒で就職した会社で、最初に赴任させられたのが茨木支店であった。

だが、駅は奇麗に整備されており、当時の面影を偲ぶものは残されていなかった。

やがて、待ち合わせの約束である11:30を迎えたが、マスク@ゆずちは現れない。

テレクラで呼び出した相手を観るが如くに、どこぞの影から私を伺っているのであろうか!?

私は、ボッボさんに電話を入れてみた。

電話の向こうには、私の不安をよそに相変わらずのお調子声が聞こえた。

電話を切り待つ事数分、右ななめ前方約18度の方向から、乳母車を押した婦人がこちらを睨みながらやって来る。

「マスク@ゆずちだ!」

私は私の背中に冷たいものを感じ、動悸が激しくなるのを覚えた。

マスク@ゆずちゃは軽く会釈をしながら近づいてきた。

その後、私とゆずちゃは、ゆずちゃの車を駐車してある市営駐車場へ歩を進めた。

道中、バスの待合所があり多くのバス待ちの乗客がいるにもかかわらず、ゆずちゃは大声で、たんぽんがどうの、マスクがどうの、という話を始めた。

私は恥ずかしかった!

そして、我に帰った私は再度ボッボさんへ電話、すぐさまゆずちゃに代わった。

その時に撮った写真が下である!見よ!本邦初公開!これがゆずちゃだーっ!!

ゆずちゃの顔!
再度電話を代わった私にボッボさんは言った。

「やっぱり、とどか?YESかNOかで答えよ!」

私は小声で応えた。

「YES・・・・・。」

私達は、ゆずちゃ運転の車で近くのファミリーレストランへ行き、食事をしながらヒマラヤ頂上会議をすることにした。

傍目には、恐らく親子3人と思われたであろう・・・・・。

いやな3ショットである。私はまだ独身なのだ・・・・。

同レストランでは、私は西武優勝記念ランチ(ホタテの貝柱付きステーキ、ゆずちゃはチキンの生姜焼き風ステーキ、お子さん(優希ちゃん10ヶ月)はクリームシチューとゆずちゃ持参のミルクを食した。

平日のお昼であったが、多くの人々で繁盛していた。

しかしながら、またもやゆずちゃは大声で、タンポンがどうの、マスクがどうの、と話し出したのであった。

自称人格者の私としては、非常に恥ずかしく穴があったら入りたいと思った。

さすがは、マスクである。

私は、ゆずちゃにプレゼントをあげたのであるが、そのお返しに今日の昼飯代はゆずちゃのおごりとなった。

ますく@ゆずちは、いい人だった。

15:00、会議はお開きとなり、私は又してもゆずちゃの車で茨木駅へと送ってもらった。

茨木駅から上新庄へと向かう車中にて、ボッボさんから電話が入った。

電話の彼女は妙にはしゃいでいたが、私は疲れていた。

重荷が取れた為であろうか、急に睡魔に襲われた。

16:00頃帰宅する。

ゆずちゃに会ったことは、まるで夢の中の出来事であったように思う。

多くの人々の前で、「タンポン」と叫んでいた彼女の声が耳に残っている・・・・・・



*ゆずちゃ@マスク様へ、文中での一部失礼な表現お許し下さい。




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