★1998年11月14日(平成10年)土曜日、21時少し前。私は、アメリカから、今回はるばる凱旋帰国するという或る男との待ち合わせ場所へと急いでいた。
11月初旬とはいえ夜は少し冷え込み、心なしか少し寂しげな街の風景であった。
その凱旋帰国するという彼・シゲ@LAX氏からは、約一ヶ月前に日本に一時帰国する旨の内容が書かれたメールをもらっていた。
そして、一週間前には、すでに来日して、現在、富士の大石寺近くの旅館に仕事のため投宿しており、週末に大阪に入るとの電話連絡を受けていた。
電話で初めて聞く彼の肉声は、神経質そうなしわがれ声で、私の脳裏にカマキリの姿を連想させた。
私の苦手なタイプである。
だから、今、こうして会見場に向かう私の足取りもどこかしら重く、脇の下を冷たい物が流れた・・・。
待ち合わせ場所は、嗚呼、何と青春の意気であり、顧(かえり)みるときの微笑みでもある懐かしの大阪府警南署(ジャーン!)の前である。
待ち合わせ場所からして縁起が悪い!!
「Rrrrrrrrrrrrrrr・・・・・・・!!」
突然、私の携帯電話が、まるで何かの警告のように乾いた大都会の夜の街に鳴り響いた!
シゲ:「ううっ!助けてくで!!(なんで日本に来てこんな眼に遭うんや!)」
S島:「もしもし、シゲさんですか!?(もう帰ろうかな!?)」
シゲ:「今、Yビルの中から電話してるんやが、電話してる最中にビルのシャッターが閉まってしもうた、あうっ!(おろおろ・・・!)」
S島:「な、何ですって!?(やっぱり帰ろうかな!?)」
シゲ:「な、何とかしてくでー!(しくしく)」
そこで私は、シゲさんが閉じ込められたというYビルを捜すはめとなった。
それらしいビルがあったので、外のドアホンから管理人に電話したが、
「そんな奴おらへんぜぇ!今、何時やと思うとるんや!!うりゃっ!」と叱られる始末。
「うん、そうやな!今夜のことはなかったことにして、早く家に帰ろう!」・・・と決意しかけた時、またも携帯電話!
シゲ:「すんません!自力で出ましたわい!はーっはっはっはっ(高笑い)」
S島:「そ、それは良かった、心配してたんですよ!・・・で、今、どこですか?(やれやれ、お腹空いたのぉ・・・)」
シゲ:「どこって、待ち合わせ場所の、想い出の大阪府警南署前やがな!(エッヘン!)」
S島:「何いうてまんねや!?私、今、その南署前に立ってまんがな!(ジロジロ見るなよ、警察官!あせあせ・・・)」
シゲ:「ははは・・・相変わらず冗談のきついS島さんや!この私こそ南署の前の電話ボックスにいまんがな!(堪忍してくれや、疲れとるんや、わしは!)」
S島:「うんにゃ、南署の前には電話ボックスなんておまへんがな!(ボケとるんか!?)」
シゲ:「んなアホな!今、現にこうして電話してまんがな!(ええ加減にせいよ!)」
S島:「あんたほんまに大阪府警南署の前にいまんのか?京都府警の南署の前におるんとちゃいまっか!?(怒るぜほんまに!)」
シゲ:「ほんまやて!道を挟んで真正面にはコンビニの○M○Mもありまんがな!(誰や、こんな奴呼んで来たんは!?)」
S島:「コンビニのA○P○・・・?もしや!?シゲさん、電話そのままにしといて!今から歩いてそこへ行きまっさ!(おいおい、頼むぜ!)」
携帯電話を耳に当てながら歩くこと数分!
シゲ:「嗚呼、見えますわ!今、携帯電話しながらこっちへ歩いてくるんがS島さんでっしゃろ!?(はよ来いや!)」
S島:「シゲさん、ここは大阪府警南署とちゃいまんがな!」
シゲ:「そやけど、そこに大阪府警南署の看板が!!」
S島:「あれは、この交差点を左に曲がったら大阪府警南署があるという看板でんがな!」
シゲ:「嗚呼、ほんまや!どうもすいません!改めてシゲ@LAXです!よろしく!」
S島:「いや、こちらこそよろしく!」
・・・と、シゲ@LAXさんの顔を間近でよく見た時だった。
私は思わず口に出した、
「なんや、きっしぃやないか!?」
「何してるんやこんなとこで!?君は確か○○の文化祭で・・・・」・・・・・・=☆
何と!聞いてびっくり、見てびっくりの、例のきっしぃ氏とクリソツのシゲ@LAXさんであった!!
なんせ、顔かたちから容姿(同じか!?)どころか、体型もシャッターに閉じ込められるという行動様式や声までも、そして傷心人生までクリソツだったのです!
以上、前振りが長かったですが、シゲ@LAXさんの挨拶です!
「日本のメンバーのみなさーん!特に常勝チャットのみなさーん!初めまして!私がシゲ@LAXでーす!よろしくお願いしまーす!」byシゲ@LAX。
その後、私達は近所の居酒屋「つぼ八」に場所を移し、心ゆくまで日米首脳会談を敢行しました。
なお、シゲさんからはUSA-SGIの経本数冊をお土産に頂きました。
シゲさんは、アメリカはロスアンゼルスの現地では、地区リーダーをされており、牙城会兼創価班という重責の任に就いておられます。
当地の男子部もやはり夜はとても遅いらしいです(韓國男子部も夜が遅い。夜が遅いのはSGI男子部万国共通らしい・・・)。
ただ、日本の男子部のように夜中に人の家にずかずかと上がり込むことはなく、近くから電話して「SUNDAYSUNでメシでも食いに行こうか!?」と誘い出すのだそうです。
また聖教新聞は、一週間分まとめたものが週一で郵送されてくるそうで、残念ながら創価新報はアメリカでは見れないようです。
シゲさんはアメリカで骨を埋める決意であり、とても生命力溢れる方でした。
また、やはりKANSAI男子部のノリを持っておられました。
彼のような方がアメリカの広大な大地で活躍されていると思うと、とても頼もしく感じられ、これからのUSA-SGIのますますの発展を確信すると共に、我々も負けないように頑張らねばと思いました。
シゲさん、一日も早くパツキンの白蓮と結婚して下さい。
次回、ロスアンゼルスでの再会を約して、名残惜しくも23:00、日米首脳会談はお開きとなり、シゲさんは実家のスクーターで大阪の夜の街へと消えて行きました。
"きっしぃもどき"に逢った夜は更けて・・・・。
以上。
*文中での失礼な表現はお許し下さい。