フェリクス・アンドウの略歴

国家社会主義ドイツ労働者党 1910・・・出生

1911・・・母がランドウという姓のユダヤ人と再婚し、フェリクスは、「フェリクス・ランドウ」と名乗る。

1919・・・養父の死後、カソリックのある信徒団体が経営する寄宿学校に入学。

1925・・・ナチスの青年団活動に学校仲間を積極的に勧誘するようになり、同寄宿学校を放校。国家社会主義(ナチス)労働者青年団に加入。熟練した家具製造職人の徒弟となる。

1930・・・オーストリア連邦陸軍に徴兵される。

1931・・・3月に、ナチス党に入党。5月に党内で役付きになる。

1933・・・ナチスの党活動のために陸軍を追放される。同年6月から翌年4月までナチス突撃隊員(SA)、その後、親衛隊(SS)に移る。

1934・・・クーデター未遂事件に参加し、逮捕後1937年まで投獄されている。釈放後、再逮捕を恐れて、ドイツに亡命し、ドイツに帰化して市民権を取得。警察官としての職を見つける。

1938・・・ ナチス・ドイツによるオーストリア併合後、ウィーンのゲシュタポ(秘密国家警察)地区本部に配属され、最初の妻と結婚。

1940・・・ポーランド総督領ラドムのSD(親衛隊保安諜報部)地域司令部に転属。ここで、速記タイピストであるゲルトルーデに出会う。

1941/6月・・・親衛隊特殊作戦中隊アインザッツコマンド=略称EK)を志願。7月からドロホビッチのルヴォフ地区で、特殊作戦中隊は親衛隊治安警察・保安諜報部の出先機関に再編成される。1943年5月まで、ランドウはユダヤ人強制労働の組織化を担当。1941年末まで、愛人ゲルトルーデと共に貴族の住んでいた別荘に暮らす。

1942・・・本妻と離婚し、ゲルトルーデと結婚。しかし、彼女とも戦後離婚。

1945・・・ドイツ敗戦。最終階級は親衛隊大尉。

1946・・・オーストリアのリンツで以前ポーランドで虐待したユダヤ人に正体を見破られ、アメリカ軍に戦争犯罪人として逮捕される。1947年7月に、収監されていたグラーセンバッハ捕虜収容所を脱走。以後、ノルトリンゲン地区で偽名ルドルフ・ヤシュケ(「内装および冷凍機器の設計、計画コンサルタント」)を名乗る。最終的に、逃亡した戦争犯罪人として摘発されて、1963年にシ ュツットガルト州裁判所で終身刑の判決を言い渡される。



ランドウの日記の出典

国家社会主義労働者青年団 エルンスト・クレーほか編「愉快なる時」(ユダヤ人虐殺に関与したドイツ人らによる手記集)

エルンスト・クレーは、教師、映像作家、著述家。ナチス時代の精神障害者、身体障害者の安楽死計画を調査する過程で発見した資料に基づいて上記の書を構成した。

オリジナルのドイツ語版Schoene Zeitenは1988年に刊行された。





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